2020年5月28日木曜日
現代哲学のまとめ(2)
哲学における20世紀は最も愚かなのか
最近イギリスのある哲学者が、哲学における20世紀は「すべての中で最も愚かである」と断言した
彼が間違っていることを証明できないことも起こり得る
しかし、20世紀には、ベルクソン、フッサール、ハイデッガー、サルトル、デリダ、あるいはラッセル、カルナップ、クワイン、グッドマン、ギーチ、アンスコム、デイヴィド・ルイスなどの哲学者がいた
彼らの世紀をこれほど厳しく評価することを可能にしているものは何なのだろうか
これまでのページが、哲学の20世紀は回り道する価値があると読者が確信できるようにしたと期待すべきだろう
このイギリスの哲学者が哲学の20世紀を厳しく評価するために挙げた理由の一つは、この世紀の過程で良心は完全に私的な現象であるという考えを疑問視したことである
わたしに言わせれば、彼が擁護するこの考えは哲学の中で最も愚かなものの一つなので、20世紀の知的価値について希望を繋いだのである
現代の哲学思想の多様性とさらに言えば分裂は、際立っている
露骨に言えば、現代哲学思想は文字通りあらゆる方向に迸り出たのである
そこに指導原理や一貫性のようなものを明らかにするのは容易ではない
万事がパリの5区あるいはハーバード大学やオックスフォード大学の中のように至る所で起っている、すなわち、知的生態学的地位(ニッチ)の中に縮こまっていると言い張るかもしれないが、現代哲学においてすべてを見出すことができることを認識せざるを得ない
形而上学、反形而上学、霊感豊かな予言者主義、論理的禁欲主義、急増する解釈学、冷たい解釈性、政治の優先、論理学の支配、徹底した唯物論的還元主義、天空の心霊主義など、そして時に尤もらしい主張まで
この状況は、同様の多様性があり、作品の芸術的・美的価値に対する疑いが残っている点で、「現代芸術」の状況と比較できるかもしれない
それはまた、最悪のものから最良のものまですべてが揃っているスーパーマーケットにも似ている
そこに時が選別を行ったことを将来の歴史家がより容易に見出すことを期待できるだろう
金を探す人が小川で集めたものをひっくり返して、時に金塊を見つけるように、歴史家も結局は一時代を画するものを発見することになるだろう
しかし、「時の試練」に耐え、真の価値は常に現れ、偽の価値はそのために忘れられ、軽蔑されることになるのは、それほど明白なのだろうか
哲学的な質は歴史の制裁によって認められるようになるのだろうか
我々が愚かな考えを長い間称賛し続け、最良のものを過小評価し続けるのを妨げるものを、わたしはよくわからない
(そして今日、哲学史はこの心配を否定できない)
我々が今よりも後でより明らかにできることはないかもしれない
時と共に、誤りがさらに定着し、完全に勝利を収める可能性があるのだ
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