論理学の哲学と哲学的論理学(4)
私がここでやりたいことは、これらの問題を検討することではなく、哲学的問題の宝庫に注意を促すことである
それは、「論理学の哲学」と「哲学的論理学」という論理学である
哲学の金塊を採掘する努力が推奨されるべきである
恐れがあるのは次のことである
論理学は自称本物の哲学の
無礼で最悪の宿敵であるという主張を真に受けた学生が不幸にも道を間違えることである
それは彼らを騙すことになる
全ての哲学初学者は、自らを立言の厳密な分析者としてよりは、概念の創出者(それがどんなものであれ)として見る
カントの表現を借りれば、哲学における「偉大な権威」という品位は、論理学や哲学的論理学に対する軽蔑を誇示する哲学者のスタイル方の中に見られる
もし哲学の学生が論理学をやらなければならないとしたら、それは論理学のためというより論理学についての哲学的省察のためである
しかし、特定の専門性を習得するためには十分な真剣さをもって行うことが前提となっている
結局のところ、論理学はある哲学者が間違ってそう信じているような論法の習得ではなく、哲学の王道なのである
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