一貫性(3)
ここで言いたいのは、デカルトのコギトが妥当なのかどうかを知ることではない
寧ろ、我々の哲学的命題の含意の中を、論理学のお陰で得られる先に進む能力の哲学における役割を示すことである
そうすることにより、我々が間違っていないという保証として、我々の思考の一貫性を確認するのである
形而上学的命題が意味論や言語哲学に関するものになる時、我々はそれを受け止める準備ができているだろうか
同様に、心の哲学における命題が結果として形而上学に至る時、それを受け入れる準備はできているだろうか
我々の異なる主張の一貫性を保証すること
これこそが、哲学における論理学の根本的な役割である
論理学に割り当てられた哲学の教養課程の役割が、主にデカルト以来、なぜ非常に広範に疑問視されたのか
例えば、
ジル・ドゥルーズや
フェリックス・ガタリが、なぜ哲学における論理学の価値を全否定するのか
20世紀の哲学のすべての流れにおいて、一方では論理学は哲学的省察の基礎とされた
他方、論理形式主義に頼ることの妥当性は全面的に拒絶され、時に反哲学的とまで判断されたのはなぜなのか
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