2022年1月10日月曜日

コンシュ「哲学的自然主義」(40)




























第二に、科学が哲学者にとって幻想の原因ではないかどうか、少なくとも自然が彼らの目に一体性には還元されない真の多数性(Vielheit)であるのかどうかを問うことができるとわたしは言った。

わたしが「科学」と言う時、科学者に自然を捉えることを保証し、わたしが論理数学的ロゴスと名付ける強力な知的骨組みのことを考えている。

このロゴスは、自然が反応することを望むのであれば話さなければならない言語であることを我々は知っている。

しかし、科学者はこれらの反応がチグハグであるのを認めることができない。

科学者はそれらの反応がすべてを包み込んで唯一無二のものでなければならなかったかのように、それぞれの反応を結び付けようとする。

コスモス(宇宙)の統一性を前提としているのである。

なぜなら、科学者は基本的な力を統一に持って行こうとするからである。

そこから、場の統一理論の探究、「大統一」と呼ばれる理論、「宇宙全体の」量子理論の探究などが行われる.

全ての法則を一つの統合として結び付ける「全体理論」と呼ばれるものが望まれるのである。

そしておそらく、最小の次元で素粒子物理学によって宇宙を調査するか、最大の次元で天体物理学によって宇宙を調査するかにかかわらず、それは常に同じ宇宙である。 それはまさに「我々の」宇宙なのである。 









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