2022年1月7日金曜日

コンシュ「哲学的自然主義」(37)















数学者のゲオルク・カントールは、「多数性」(Vielheiten)と「集合」(Mengen)という2種類の集合を区別した。

後者は前者と異なり、一つのものとして考えることができる。

自然は集合-多数性であり、唯一のものではあるが一つではない。

タペストリーは唯一のものではあり得るが、模様が必ずしも相互に関連を持たない場合には一つのものではないように。

自然は大きさにおいて無限なのだろうか。

エピクロス主義者が望んだように、分子や原子というような自然の構成要素の数は無限である。

つまり、我々が数えた原子の数がどれだけ大きくても、常にそれ以上のものが存在する。

しかし、自然は大きさにおいて無限ではない。

その意味は、前に与えられた大きさよりさらに大きいものだからである。

この特徴は数や種類に属することだが、自然はむしろ大きさを超えたところにある。

同様に、老子の『道徳経』において、「道」は老子によって「大きい」と命名されている。

それは絶対的な言葉で、道――Nature naturante のようにすべてを生み出す創造者、神のようなもの――はすべてを包み込むもので、すべてがそれ自身によりその中で生まれ、その中で一時的に留まるものを持っている。







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