2022年1月8日土曜日

コンシュ「哲学的自然主義」(38)















わたしは自然をタペストリーになぞらえた。

自然は「出口なし」なので、迷宮にも譬えることができるだろう。

これはエウリピデスapeiros という言葉で表現したものである。

「無限」――「終わり」なし、つまり出口なしである。

我々は自然から出ることはない。

我々はそこで果てしなく、出口を見つけることなく歩くのである。

それは不可解な藪である。

従って、科学知を使って自然の秘密に入り込む仕事は、終わりなき仕事なのである。

我々が物理学の本で読む自然現象の法則は、単純である。

なぜなら、現象を複雑にしているものを無視するからである。

もし、単純さが現実のもので深いならば、測定法の精度の向上はこの単純さと互換性があるだろう。

しかし、「おそらく」そのようにはいかないとポアンカレは言う。

「もし我々の研究方法が益々深く入り込むとすれば、複雑なものの下に単純なものを発見するだろう。

それから単純なものの下に複雑なものが、そして複雑なものの下に新しい単純なものが、という具合に進み、どれが最後のものなのかを知ることはないだろう。」

ポアンカレは「最後のもの」があることを明らかに疑っている。







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