目覚めた時がひと日にの始まりだが、今朝は早かった
庭に目をやると、草木が朝露に輝き、生き生きとしている
先日蕾だった花もいくつか開いていて、美しい
気持ちの良いひと日の始まりとなった
さて今日も、スピノザを続けたい
最初、わたしはスピノザの哲学を理解できないだろうと思った
今は、おそらく完全にはできなかったと言える
そしてそれは、そんなに悪いことではない
しかし最初は、わたしがスピノザ哲学の基本的な前提を間違って解釈し、月を狙った小説が太陽を撃つことになるのではないか心配したのである
わたしの恐れは、ピエール・マシュレ(1938- )の「スピノザとの出会い」というテクストを読むまで続いた
この論文は、スピノザの最高の権威であるドゥルーズ(1925-1995)が、いくつかの解釈の誤りを犯していることを主張している
ドゥルーズの目的は、絶対的真理—―それは存在しないのだが――に到達することではなく、戯れだったのである
彼はスピノザ哲学を忠実に解釈しようとしていない
彼にとって重要だったのは、真の哲学者に相応しく理性を介してスピノザを経験したことを示すことだったのである
その時、わたしは自由に振る舞う(戯れる)ことができるようになった
兎に角、ドゥルーズの解釈は参考になり、わたしは2つの右手(スピノザとわたし)と1つの左手(ドゥルーズ)で書いていると感じることがあった
ある本の中で、1621年にロンドンで刊行されたロバート・バートン(1577-1640)の『メランコリーの解剖学』に出会った
それから、わたしがテーズで扱った概念の一つは、ジュリア・クリステヴァ(1941- )の『黒い太陽― 抑鬱とメランコリー』(1987)の中でメランコリーとされていた
この他、ショシャナ・フェルマン、リチャード・ローティ(1931-2007)、ジャスミナ・ルキック、ミハイル・バフチン(1895-1975)、エリザベス・グロス(1952- )、ジュディス・バトラー(1956- )、パトリシア・ウォー(1956- )、ミーク・バル(1946- )、シュロミス・リモン・ケナン、スーザン・ランサーなどの著作も「スピノザとの会話」の迷宮を歩く際の標識となった
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