スピノザ(1632-1677)がユダヤ人コミュニティから排斥された理由はよく分かっていない
伝記作家の一人は「その理由は、おそらくこれからも我々には隠されたままであろう」としている
長老の宣言書には、理由が書かれていないのである
わたしはその理由を、当時は受け入れられていないが将来受容されるだろう知識を説いたからだと考え、そのように小説を組み立てた
全人生を倫理(『エチカ』)に打ち込んだ人間の教えを考えると、読者はスピノザの人生における出来事を書くことが倫理的なのかと問うかもしれない
わたしの頭に浮かんできたのは、ミゲル・デ・ウナムーノ(1864-1936)の次の言葉であった
その意味では、この小説のスピノザは1632年から1677年まで生きたスピノザであり、本書に出てくる読者は今本書を手に取っている読者に他ならないと言えるのではないか
幾何学が教えるところによれば、二つの平行線は無限の彼方で交わることになる
我々はある点――おそらく無限において――で出会うことをわたしは信じている
本書のスピノザと実在のスピノザ、二人の読者、著者は出会い、絶対的同一性に至るであろう
再度問う、なぜスピノザなのか
ある人と超心理学について話している時、なぜスピノザについて書いていると思うのかと訊いてきた
もし哲学者との会話であれば、彼の独自の哲学のためとか、デカルト(1596-1650)の自由意志や心身二元論についての考えからの逸脱を挙げたかもしれない
文学理論家との対話であれば、読者と登場人物との会話を小説にしたかったからと答えただろう
しかし、相手はすでに真理を知っている人物だったので、その答えを知らないと正直に言わなければならないと感じたのである
すると、その人物は「ゴーチェ、あなたは孤独だったのですね、なぜですか」と返したのである
ウラジミール・ナボコフ(1899-1977)は、「作家は孤独の中で生まれる」と言っている
彼は孤独の中に生まれただけではなく、孤独の中に存在したのである
書くこと自体が孤独の作業である
あるいはおそらく、孤独を乗り越える必要性である
それは会話の必要性を意味している
それ故、これらの会話があり、『スピノザとの会話』がある
それがスピノザだった理由である
(了)
0 件のコメント:
コメントを投稿