2022年8月8日月曜日

ゲーテの言葉から(35)






























  Friedrich Schiller (1759-1805)





1824.1.4(日)

「結局、人びとは私にけっして満足しなかった。そしていつも、神のおぼしめしによって創られた私と別な私を、求めた。また、私の著した作品に満足することもめったになかったね。私が、全心全霊を打ちこんで昼夜をわかたず苦心惨たん世のためにつくそうと新しい作品を書き上げても、人びとは自分たちに感謝しろと要求し、そうすればまあ、勘弁してやる、という始末さ。誉めてくれたときでも、私がそれを喜んで自己満足して、当然の贈り物として受け取ってはいけなかったのだよ。人々は、私がそれを辞退し遠慮して、身を屈して私という人間も作品もまったくつまらないものだ、と表明することを期待したのだ。しかし、そんなことは、私の性分に反したな。万一、私がそんなふうに伴(いつわ)ったり嘘をつこうとしたりしたなら、私は、一個のあさましいルンペンになりさがってしまったにちがいないよ」


「人びとはどうしても、ありのままの私を見ようとしないのさ。私を赤裸々に示しているはずの一切のものからは目をそらせているのだ。ところがシラー(1759-1805)は、われわれの仲間内では私よりはるかに貴族主義者であったが、そのくせ私よりはるかに言葉を慎んだので、民衆の友と考えられるという妙な幸運を得ているのだよ。私は、そのことを心から祝福するとともに、他の人びとが私とあまり変わらぬめぐりあわせであったことを考えあわせて、自分を慰めているわけだ」


「私がフランス革命の友になりえなかったことは、ほんとうだ。なぜなら、あの惨害があまりにも身近で起こり、日々刻々と私を憤慨させたからだ。同時に、そのよい結果は、当時まだ予想することもできなかった。それにまた、フランスでは大きな必然性の結果であったのと同じ場面を、ドイツでも人工的にひき起こそうと目論んでいる連中がいるのに、私は知らぬ顔をしているわけにはいかなかったのだよ」

「だからといって、私は、横暴な専制主義の友でもなかったのだ。また、どんな大きな革命も決して民衆に責任があるのではなく、政府に責任があると堅く信じていた。政府がいつも正しく、絶えず目覚めていて、したがって革命に対して時宜に適した改良で対処し、下からの圧力で止むをえざる事態になるまで抵抗するといったことがなかったら、革命などまったく起こらない筈だ」


「その上さらに、ある国民にとっては、他国民の真似ではなく、その国民自身の本質から、その国民自身の共通の要求から生じてきたものだけが、これは善であると言えるのだよ。なぜなら、ある国民にとって一定の発展段階で結構な栄養分でありうるものも、他の国民にとっては毒になるばあいもありうるのだからね。だから、ある外国の改革を導入しようとする試みは、自国民の本質に深く根ざした要求でないかぎり、すべて愚かなことだ。そうした故意に企てられた革命などは、いっさい成功しないものだよ。というのもそこには神がいないからだ神はそうしたいいかげんな仕事には手を出されないからだ。しかし、ある国民の中に大きな改革への真の欲求があるなら、神はその国民とともにあり、その改革は成功する」


(山下肇訳)









2022年8月7日日曜日

ゲーテの言葉から(34)


 William Shakespeare (1564-1616)



ゲーテ(1749-1832)をもう少し続けたい


1823.12.30(火)

「科学の問題が生活の問題になることはじつにしばしばある。たった一つの発見が、ある男を有名にし、その市民的幸福を作り出すことさえもある。だからこそ、科学においても、こうしたせちがらさや、確執や、他人の創意に対する嫉妬が起こるのだ。そこへ行くと、美学の領域では、すべてがはるかに寛大だ。思想というものは、多かれ少なかれ、すべての人間に生まれながらに備わっているものだから、問題はその取り扱い方と仕上げのいかんにあるわけだ。だから当然ながら、嫉妬があまり起こらないのだよ。一つの思想にもとづいて、百の箴言詩を作ることだって可能だ。それで、問題となるのは、一にかかって、その思想をいちばん効果的に、いちばん美しく具象化できるのは、はたしてどの詩人かということさ」

「だが、科学のばあい、その処理法などはどうでもよく、すべての成果は、創意の中にある。そこでは、普遍的でしかも主観的なものはほとんどなく、自然法則の個々のあらわれは、どれもこれも、スフィンクスのように、われわれの外部で確固不動のものとして沈黙を守っている。新しく認識された現象が一つ一つ発見となり、その発見の一つ一つが財産となるわけだ」



1823.12.31(水)

「人びとは、理解することも想像することもまったくできない至高の存在を、まるで自分たちと同じものであるかのように取り扱っている。そうでなければ、主なる神とか愛する神とか善なる神などと言えないだろうよ。神は、人びとにとって、ことに毎日それを口にしている牧師にとって、一つの極まり文句、たんなる呼び名となってしまい、それを口に称えるときにも上の空というわけさ。だが、神の偉大さを本当に確信している者がいるとすれば、うかつに口にも出せなくなって、畏敬のあまりその名を呼ぶことさえ憚るだろう」



1824.1.2(金)

「戯曲の才能があり、しかもすぐれた人であれば、シェークスピア(1564-1616)に注目しないわけにはいかなかったよ。いや、何としても彼を研究せざるをえなかった。ところが、シェークスピアを研究すれば、彼が人間の本性全体をあらゆる面にわたって、あらゆる深みも高みもきわめつくしてしまっていることに気づかざるをえない。結局、あとにつづく者には、もう何もなすべきことが残されていないことがわかったのだな。このような底知れない、及び難い傑作が、すでにこの世に存在していることをまじめな素直な心で認めるばあい、いったいどうして筆を執るだけの勇気が起こるだろう!」

「だが、五十年前、わが愛するドイツでは、私はもちろんもっと恵まれていたよ。私は、たちまち既成の文学と手を切ることができた。そういうものは、もはや私を感歎させなかったし、私の心をとらえもしなかった。私は、ドイツ文学とその研究をまもなく見棄てて、人生を創造へと方向転換した。こうして一歩一歩前進しながら、自分の本性を展開しつづけ、じっくりと修業を積んで、その時期その時期で可能な創作活動を行った。それに、私がすぐれた作品のあるべき姿として考えていたものも、私のどの生活段階や成長段階においても、その時その時に自分で作ることのできたものと大変かけ離れたものではなかった。しかし、もし私がイギリス人に生れ、やっと青春に目醒めかけたころに、あれほど多様な傑作が猛烈な勢いで一挙に私に迫ってきたら、私は圧しつぶされて、どうしてよいやら見当もつかなかったことだろうね」


「偉大なものは、ひたむきで、純心な、夢遊病者のような想像力によってのみ産み出されるものだが、そういう創造はもうまったく不可能になっている。今日の才能ある者たちは、みんな大衆の前にさらされている。毎日五十もの土地で発行されている評論紙や、それをめぐって大衆の間でかわされる饒舌は、なんら健全なものをもたらしていない。今日では、そんなものからすっかり身を引いて、無理をしてでも孤立しないかぎり、駄目になってしまうよ。たしかに、低俗で、大部分は否定的なジャーナリズムの文芸批評によって、一種中途半端な文化が大衆の間に出現しているけれども、それは、ものを産み出す才能にとっては有害な霧であり、その創造力の幹の上にふりかかって、その緑葉の装飾から一番奥の心髄、一番奥にひそんだ繊維にいたるまで破壊しつくしてしまう毒なのさ」


「個人は誰でも生まれながらの自由な自然の心を持って、古くさい世界の窮屈な形式に順応することを学ばなければならないのだ。幸福が妨げられ、活動がはばまれ、願望が満たされないのは、ある特定の時代の欠陥ではなく、すべて個々の人間の不幸なのだよ。だれでも生涯に一度は『ヴェルテル』がまるで自分ひとりのために書かれたように思われる時期をもてないとしたらみじめなことだろう」


(山下肇訳)












2022年8月6日土曜日

究極のストレスレスな日常に向けて






















今朝の瞑想

例えば今、論文を書いているとする

そのためには、関連する論文や資料などに目を通さなければならない

その時、関連するものは論文を書くための参考として存在している

それが普通の構図になるだろう

この場合、やっている人間を目的に向かわせ、気持ちを窮屈にさせるところがある

そうではなく、そこにアリストテレス(384 BC-322 BC)のエネルゲイア的な発想を入れてはどうなるだろうか

つまり、関連する資料もそのものだけのためにあると意識するのである

そうすると、そこに気持ちを集中して向かうことができるようになる

心が自由に開いた状態のままでいることができるのである

そこから、目的に縛られないものが現れる可能性が出てくる

目の前が無限に広がり、精神的なストレスも消えてなくなる


いつだったのかは思い出せないが、心に極力負荷がかからないようにしていると感じたことがある

何かをやろうとする時、少しでもネガティブな気持ちが見える場合、無理にやらないようにしていることに気付いたのである

それをやるのに抵抗を感じなくなる時が来るので、それまで待てばよいのである

そのためには、ほんの僅かの心の揺れを見逃さない状態にまでなっていなければならない

日頃から自らの内面を観察していなければならない

それができるようになると、ストレスレスの状態を究極の点まで持って行くことが可能になるのではないか

ポジティブな気持ちを増やすのではなく、ネガティブなものを少なくするというエピクロス(341 BC-270 BC)の教えが垣間見える

そんな思いが巡っていた週末の朝



うつくしや 雲一つなき 土用空

          小林一茶








2022年8月5日金曜日

ゲーテの言葉から(33)






























 Herman van Swanevelt (1603-1655)




1831.12.21(水)

「彼(ヘルマン・ファン・スワーネフェルト、1603-1655)には、趣味としての芸術、および芸術としての趣味が、他のだれにも類のないほどにみとめられる。彼は自然にたいして、うちに秘めた愛と神々しいまでの心のやすらぎをもっているが、そういう心のやすらぎは、彼の絵を眺めているとき、われわれにも伝わってくる。オランダに生まれ、ローマのクロード・ロラン(1600-1682)のもとで勉強した彼は、この師によって十二分に修練をつみ、彼独特のすばらしい持ち味をまったく自由自在に発展させたのだ」



1832.3

「詩人が政治的に活動しようとすれば、ある党派に身をゆだねなければならない。そしてそうなれば、彼はもう詩人でなくなってしまう。その自由な精神と偏見のない見解には別れをつげ、そのかわりに偏狭さと盲目的な憎悪という帽子を耳まですっぽりとかぶらねばならなくなってしまうのさ」

「詩人は、人間および市民として、その祖国を愛するだろう。しかし、詩的な力と詩的な活動の祖国というものは、善であり、高貴さであり、さらに美であって、特別の州とか特別の国とかにかぎられていはしない。どこにでも見つけしだいにそれを捉えて、描くのだ。その点では、鷲に似ているね。鷲は国々の上空を自由に眺めながら飛びまわり、捉えようとするウサギがプロイセンを走っていようがザクセンを走っていようが、そんなことにはお構いなしだから」


「それにしても、いったい祖国を愛するということは、どういうことなのだろうか。そして祖国のために働くということは? ある詩人が一生涯、有害な偏見とたたかい、偏狭な見解を打ちやぶり、国民の知性を啓発して、その趣味をきよめ、志操と考え方を高めるために努力したとしたら、いったいそれ以上になにをしたらよいというのだろうか、そしてそれ以上に、どうやって国のために働けばよいというのだろうか?」


「知ってのように、私は自分のことでなにを書かれてもほとんど気にとめないが、それでも耳には入ってくる。また、私が生涯こんなに苦労したというのに、私のすべての作品がある種の人たちの目には一べつにも値しないらしいということも、よく知っている。私が政治的な党派に属するのをはねつけていたからだよ。そういう連中に気に入られるには、私もジャコバン・クラブの一員となって、殺戮や流血の話を説いてまわらねばならないだろう。ーーだが、もうこれ以上こんなつまらん話はやめるとしよう。ばかなことにかかわりあっていると、こっちまでばかになってしまう」


(山下肇訳)


この後、1832年3月22日にゲーテ亡くなる 享年82

ゲーテの言葉はまだ続く予定











2022年8月4日木曜日

ゲーテの言葉から(32)





























 Jean Paul (1763-1825) 



1831.3.27(日)

「すぐれた花卉(かき)画家は、もうまったく期待できないね。現在はあまりにも科学的な真実を求めすぎるよ。そして植物学者は画家の描いた花糸の数をかぞえなおしたりするけれど、絵画的な構図や明暗などをみる目はまるっきりないのさ」



1831.3.30(水)

「あれは私の生涯の純粋な結晶だよ。そして、あれに述べられているそれぞれの事実は、ただ、普遍的な観察や、より高い真理を確証するために役立っているにすぎないのさ。・・・あれには人生の象徴が多少含まれていると思う。私はあの本を『真実と詩』と名づけた。それは低い現象界からより高い方向へとのぼっていくからなのだ。ジャン・パウル(1763-1825)は、それとは逆の精神から、自己の生涯の『真実』を書いた。あたかも著者のような人間の生涯の真実は、俗人とは違ったものだとでもいうようにね。しかしドイツ人は、非凡なものを受け入れることが簡単にはできないのだよ。それでより崇高なものがあらわれても、気づかずにやりすごしてしまうことがよくあるわけだ。われわれの生涯の事実に価値があるのは、それが真実だからではなく、何らかの意味をもっていたからなのさ」



1831.5.2(月)

「あれ(ルートヴィヒ・ベルネ、1786-1837)は徒党を組んで、その党派的憎悪を利用している人だ。徒党を組まねばどんな影響もなしえなかったろう。文学畑ではしばしば問題になるが、憎悪が天才のかわりになり、ある党派の一員としてあらわれると、ごくつまらぬ才能でも偉そうにみえるものだ。同様に世間には、独立するほど十分な性格をもたない人がたくさんいるが、彼らも同じようにある党派に加わり、それで強くなったと思い、偉そうなかっこうをしてみせている」

*ベルネはゲーテを激しく憎悪していた



(山下肇訳)











2022年8月3日水曜日

ゲーテの言葉から(31)





























 Barthold Georg Niebuhr (1776-1831)




1831.3.21(月)

「フランス語のエスプリespritは、われわれドイツ人がヴィッツ Witz [機知] と呼んでいるものに近いね。われわれのガイスト Geistを、おそらくフランス人たちはエスプリとアーム âmeとで表現するだろうよ。この語のなかには、同時に生産という概念もあるが、フランス語のエスプリにはそれがない」


ルイ一四世(1638-1715)以来 [文学は] 成長し、ついに全盛期に達したというわけだ。しかし、ディドロ(1713-1784)やダランベール(1717-1783)やボーマルシェ(1732-1799)やその他の天才を煽り立てたのは、そもそもヴォルテール(1694-1778)だったのだ。なぜなら、彼に伍してひとかどのものであるには、たいへんな才能をもたねばならなかったし、また休みなく努力せねばならなかったからね」



1831.3.22(火)

ニーブール(1776-1831)は、野蛮な時代がくる、といっていたが、それは正しかった。その時代はすでにきている。われわれはもう、そのまっただ中にいるのだ。なぜなら、野蛮であるということは、すぐれたものを認めないということではないか」



1831.3.25(金)

「安楽というのはどんなものにしろ、元来、まったく私の性質にあわないのだ。私の部屋にはソファは一つもないだろう。私はいつも昔からの木の椅子にすわっているのだが、それでもやっと数週間前から頭をささえる寄りかかりのようなものをつけた程度なのだ。安楽で、上品な家具を身のまわりにおくと、考えがまとまらず、気楽な受動的状態になってしまうのだ。若いときからそうした環境になれているなら別だが、きらびやかな部屋や、しゃれた家具とかいったものは、思想ももたず、また、もとうともしない人たちのためのものだよ」


(山下肇訳)









2022年8月2日火曜日

ゲーテの言葉から(30)


  Sir Walter Scott (1771-1832)


久し振りにゲーテ(1749-1832)に戻りたい


1831.2.23(水)

「私は、この最高の存在である神が悟性や理性をもっているかどうかは問題にしない。それよりも私は、神が悟性であり、また理性そのものなのだと感じる。すべての生物は神によってつらぬかれ、人間は最高者たる神の部分を感じるほど多分に神的なものをもっているのだ」


1831.2.24(木)

「自然にかんしてむずかしいのは、われわれにはかくされている法則を見つけ出すことであり、われわれの感覚に反する現象によって惑わされないということだ。なぜかといえば、自然のなかでは、多くのものが感覚には反するけれど真実だということがよくあるからね」


1831.3.2(水)

「デモーニッシュなものとは、悟性や理性では解き明かしえないもののことだ。生来私の性格にはそれはないのだが、私はそれに支配されている。

ナポレオン(1769-1821)は完全にそうだった。しかもこの上なくそうだったので、彼にくらべられるような人はほとんといないくらいだ。・・・この種のデモーニッシュな人をギリシャ人たちは半神にかぞえていたのだ。

(出来事にも)とくによく現れる。しかもわれわれの悟性や理性では解き明かすことができないすべてのものにあらわれるものだ。・・・生物の多くもまったくデモーニッシュな存在であり、部分的に影響されているものも少なからずある」


1831.3.3(木)

天幕のなかで生活できる人が一番幸せだよ。あるいは一部のイギリス人のように、町から町へ、宿屋から宿屋へとわたり歩いて、いつもうまいものを食べている連中がいちばん幸せさ」


1831.3.9(水)

「人はあまりにもつまらぬものを読みすぎているよ。時間を浪費するだけで、何も得るところがない。そもそも人は、いつも感嘆するものだけを読むべきだ。私が青年時代にそうしたように、そしていまもウォルター・スコット(1771-1832)でそうしているように。私はいま、『ロブ・ロイ』を読みはじめたが、さらに彼の最良の小説を順々に読みとおしていくつもりだよ。むろん、素材も、内容も、人物も、取扱いも、さらに予備研究における無限の努力、それに負けない叙述におけるデータのすぐれた真実さも、みんなことごとく、立派なものだ!」


(山下肇訳)






2022年8月1日月曜日

7月を振り返って



















1)7月は、6月同様、待ちの姿勢が強く、具体的なプロジェに当たろうとする積極性が感じられなかった

免疫に関する本の作業開始を待っているという気持ちがあるためだろうか

全く意識していなかったが、精神的にはヴァカンスに入っているのかもしれない

このところの暑さもそれを許しているところがあるようだ


2)そんな中、この秋のカフェ、フォーラムについて考えていた

暫くお休みしていたので心と体が重く、なかなか立ち上がれなかった

しかしまず、第7回サイファイ・フォーラムFPSSが10月1日(土)に決まった

そしてつい先日、暑さに当たったのか、他の会も一気に纏まりを見せてくれた

3年振りに埃塗れの各サイトを更新していると、それぞれの場が生き返ってくるように感じられた

改めて以下に紹介したい


a)第6回ベルクソン・カフェ第8回カフェフィロPAWL

9月28日(水)18h~20h30

アラン・バディウの幸福論を読む

恵比寿カルフール B会議室


b)第15回サイファイ・カフェSHE

10月5日(水)18h~20h

パスツールのやったことを振り返る

恵比寿カルフール B会議室


c)第8回サイファイ・カフェSHE 札幌

テーマ: 『免疫学者のパリ心景』を語り合う

2022年10月29日(土)15h10~17h20

フルーツ会議室 / 札幌駅前


これらのテーマに興味をお持ちの方の参加をお待ちしております


3)最後に、7月もゲーテ(1749-1832)の声を聞いていた

文豪の息遣いを感じ、考え方に共通するところがあることも発見でき、興味が尽きない

このところ、メチニコフ(1845-1916)によるパスツール(1822-1895)の人生を眺めていた

この間、ゲーテが遠くに感じられたが、再びゲーテに戻ることになるのだろう






2022年7月31日日曜日

メチニコフの『近代医学の建設者』を読む(7)




























Jean-Martin Charcot (1825-1893)



今日は、第7章を読み終えたい


卒中の後、歩行の不自由と左腕の力が弱くなったが、知力は完全に回復した

1870年の普仏戦争は、パスツール(1822-1895)に癒すことのできない悲しみを残した

彼は志願兵として国民軍に加わり、包囲されているパリを離れようとしなかったが、友人たちは父の郷里に行くよう勧める

そして、セダンの戦いで全面降伏し、フランス帝国が瓦解した翌日、アルボアへ発った

パスツールのプロイセンへの憎悪は激しく、ボン大学が彼に贈った名誉称号を突き返した

フランスに普及しているドイツビールと競争できるように、醗酵に関する研究がビール製造の改良に寄与するよう計画した

1876年には、酒精醗酵に関するすべての研究を「ビールに関する研究」として発表

同年、コッホは炭疽病の原因として炭疽菌を明らかにしている

パスツールも細菌学の研究に向かっていた


醗酵に関する研究は大部分がリールで行われたが、伝染病についてはパリの高等師範の小さな実験室で行われた

彼の発見と多数の反対者との間の衝突では、激昂、熱中した闘士が容赦ない議論を展開したのである

特に、医学アカデミーでは、医者たちの科学的準備不足や実験方法の無知を容赦なく指摘した

そのため、医者たちは反撃の機会を狙っていた

そして、狂犬病ワクチン接種で死亡例が出た時、パスツールは殺人犯として告発されそうになった

その時、神経学者シャルコー(1825-1893)ら23名の教授が弁護に立ち、人心を鎮めたのである

このような問題がパスツールの健康に悪い影響を与えたことは想像に難くない

家族は彼をフランス南部のボルディゲーラに連れて行ったが、大地震により引き上げなければならなかった


パリに戻ると、彼の名を冠した新研究所の創立にエネルギーを注いだ

1888年、パスツール研究所の盛大な開所式が行われた

パスツールは66歳を越えていた

研究所に一室を与えられたが、最早実験の仕事はできなかった

そして72歳でその生涯を閉じた

彼の遺骸はパスツール研究所内に安置されている


(了)








2022年7月30日土曜日

メチニコフの『近代医学の建設者』を読む(6)





























Jean Baptiste Dumas (1800-1884)




今日は、第7章「パスツールの伝記」の後半を読みたい


パスツール(1822-1895)は、1848年11月にディジョン中学で仕事することになり、研究ができなくなる

12月10日、ナポレオン3世(ルイ・ナポレオン・ボナパルト、1808-1873)が大統領に選出

そして12月28日に、パスツールはストラスブール大学の化学教授として転任

家庭生活への思いが高じていた彼は、直ちに大学の総長に自己紹介と将来に向けての道筋を書いた手紙を送る

総長の娘を嫁にもらうためであった

この申し入れは快諾され、26歳と6カ月で結婚式を挙げた


30歳を過ぎ、リールに新設された理科大学の教授兼学部長に任命される

そこで、パスツールは愛する結晶に関する原理あるいは法則を確立した

それは、非対称性結晶は、有機物、生物の産物にしか存在しないということであった

つまり、非対称性は生物と無生物を分ける指標になるという仮説である

リールは酒造業の中心地であった

1856年夏、酒精製造所の成績が悪く、彼らはパスツールに助けを求めた

それを調べた結果、正常の醗酵ではアルコールが産生され、そこにある酵母は円形をしていた

しかし、異常な醗酵では乳酸が産生され、酵母は伸びた形をしていたという

翌年には、乳酸発酵についての論文を発表している


1857年10月、パスツールは高等師範の科学研究部長としてパリに戻った

ここで、生物自然発生の研究に繋がる酵素の起原に関する研究を始めたのであった

これが、有力な化学者で上院議員でもあったジャン・パティスト・デュマ(1800-1884)の依頼で中断される

当時、南フランスで養蚕農家が蚕病のために危機に瀕していたため、パスツールに依頼が来たのである

最初は分野違いなので断ったようだが、最終的には助手とともにラングドックに向かった

その結果、蚕は二つの感染に侵され、主要なものは遺伝性で、病原体は母蚕から微粒子の形で卵の中に入り子に伝わることが分かった

そこから、雌蚕とその蚕卵を隔離する方法を考案、感染性微粒子を排除することにより、蚕病は撲滅された


この仕事を終えてパリに戻った時、パスツールは46歳だったが、脳卒中になる

1週間の間、生死の間を彷徨い、言語障害と左側半身不随になった

そんな中でも科学アカデミーに出す報告を口述筆記、病後3ヵ月で再び南部に向かっている

メチニコフの見るところ、パスツールが若くしてこのような重病にかかったのは、主に精神的過労、大胆な説に対する激しい抵抗が引き起こす感情の激動によると推測している


(つづく)










2022年7月29日金曜日

メチニコフの『近代医学の建設者』を読む(5)

















Jean Baptiste Biot 1851


今日は、メチニコフ(1845-1916)の手になるパスツール(1822-1895)の人生を眺めてみたい

第7章「パスツールの伝記」である


パスツールの遠い祖先は農奴階級の百姓だったが、曾祖父の代になり96フランで自由の身となり、ジュラの山地に皮なめし工場を建てた

父はナポレオン軍に従軍、下士官で退役し、祖父も継いだ皮なめし業を継承した

ルイ・パスツールは1822年12月27日にドールという小さな町で生まれ、革と樫の樹皮の中で過ごした


ここで、天才についてのメチニコフの観察について紹介したい

彼が集めた資料によれば、天才は第一子には稀だという

例えば、モーツァルト(1756-1791)やワーグナー(1813-1883)は第七子、ショパン(1810-1849)は第四子、ボーマルシェ(1732-1799)は第七子、シェイクスピア(1564-1616)、ヴォルテール(1694-1778)、ヴィクトル・ユーゴー(1802-1885)は第三子、トルストイ(1828-1910)は第四子、ピョートル1世(1672-1725)は第三子、ナポレオン1世(1769-1821)は第四子であった

資料中、唯一の例外はゲーテ(1749-1832)で、17歳の母親の第一子だったという

パスツールも例外ではなく第三子で、幼少時からその才能を発揮することはなく、ただ勉強していたという


パスツールが学んだアルボアの学校長は、彼の性格の特徴として、規則正しく、強い熱意をもって正確に仕事をすることを挙げている

両親は彼が16歳の時に高等師範の予備校に送ったが、ホームシックになり一時期故郷に戻る

しかし、それからブザンソンの中学校に入学、バカロレアを得て、高等師範に2番で合格

20歳でパリに来てからはホームシックにかかることもなく、そこに終生留まった

24歳で物理学のアグレガシオンを獲得したが、高校の教授になるのではなく、高等師範の化学の助手の道を選んだ

そこで化学と物理学に関する学位論文を作成、25歳で2つとも通過させた


1848年2月、国王ルイ・フィリップ(1773- 1850)に対する革命が勃発、共和制が敷かれた

1848年革命という歴史の渦に巻き込まれたパスツールは国民軍に参加、共和制を守るという意志を表明した

この後、化学構造は同じなのに結晶構造が異なる酒石酸塩の研究に戻っていく

普通の酒石酸塩は右旋性であるが、パラ酒石酸塩にはこの性質がない

パスツールは、酒石酸塩の結晶は非対称だが、パラ酒石酸塩は対称性がある筈だと推論

しかし実験結果は、パラ酒石酸塩の結晶も非対称というものであった

そこで彼は、沈殿したパラ酒石酸の結晶を拾い出し、右方に非対称の結晶と左方に非対称の結晶に分けて偏光計にかけた

その結果、右に非対称のものは偏光を右旋させ、左に非対称のものは左旋させること、さらに両者が等量混合したものはその作用がないことを明らかにした

パラ酒石酸塩は右旋性のものと左旋性のものの等量混合物だったのである

当時の権威もお手上げだったこの問題を解決した彼は、まさにアルキメデス(c. 287 BC-212 BC)の「ユレーカ(ヘウレーカ)」状態だったようである

パスツール26歳の時のことである

この結果を知った、偏光に関する発見もあるジャン・バティスト・ビオ(1774-1862)は、彼を招いて実験させ、その結果を確認して感激したという


(つづく)






2022年7月28日木曜日

秋のカフェのご案内








それ以降、他の会をどうするのか考えていたが、昨夜、暑さのためか、一気に纏まりを見せてくれた


今回、ベルクソン・カフェカフェフィロPAWLとを合体させることにした

前者はフランス語を読み哲学するもので、後者は生き方に関わる哲学を語る会である

つまり、生き方に関わる哲学をフランス語で読み、日本語で語り合おうと考えたのである

ということで、以下のようになった


日時: 2022年9月28日(水)18:00~20:30

場所: 恵比寿カルフール B会議室

テーマ:現代フランスの哲学者アラン・バディウ(1937- )の『幸福論』を読む

テクスト: Alain Badiou, Métaphysique du bonheur réel (PUF, 2015)

 参加予定者には、予めテクストをお送りします

 今回から、テクストの量を減らして、議論する時間を多くとるようにいたしました

 フランス語の知識は参加のための必須条件とはなりません



日時: 2022年10月5日(水)18:00~20:00

場所: 恵比寿カルフール B会議室

テーマ: パスツールのやったことを振り返る

 今年はパスツール(1822-1895)の生誕200年に当たる

 この機会に、パスツールの足跡を振り返るのも悪くないだろう

 わたし自身、フランスにいる時には、なぜかその中に入ることができなかった

 余りにも良く知られた人物だったので躊躇したのかもしれない

 今回、少し離れたところから彼のやったことを検討することにした

ポスター


日時:2022年10月29日(土)15:10~17:20

場所: フルーツ会議室 / 札幌駅前

テーマ: 『免疫学者のパリ心景』について語り合う

 東京のFPSSで編集者の岩永氏がこの本を取り上げて、話し合いの場を設けてくれることになった

 それと同質のことを札幌の参加者とともにやろうという計画である

 その中から、新たな発見が生まれることを願っている

ポスター


興味をお持ちの方の参加をお待ちしております







2022年7月27日水曜日

メチニコフの『近代医学の建設者』を読む(4)





























Louis Pasteur (1822-1895)




今日は、第4章「パスツールの生物自然発生否定説」について読んでいきたい

パスツール(1822-1895)は、醗酵、腐敗を微生物が起こすことを発見したことから、この醗酵素の起原に興味が向かっていった

新鮮な葡萄汁や牛乳などが容易に醗酵するということは、醗酵素が至るところに存在するからなのか、あるいは有機物内で自然に発生するためなのか

つまりパスツールは、生物の自然発生の問題に直面することになったのである

彼は次のような実験をして、いかなる醗酵素も自然に発生するものではないことを証明した

まず、有機液を沸騰して放置した場合には、醗酵は起こらなかった

醗酵が起こるためには、その中に前の培養で得られた醗酵素や空気中の塵を入れなければならなかった

その結果から彼は、醗酵素は自然発生するのではなく、外界から入ってくると結論したのである






























Félix Archimède Pouchet (1800-1872)



明快な結果だったので、直ちに科学界に受け入れたと思うだろう、とメチニコフ(1846-1916)は読者に語り掛けている

しかし、事実は全く逆であった

攻撃の急先鋒は、ルーアンの博物学者で自然発生の信奉者フェリックス・アルシメード・プーシェ(1800-1872)であった

彼はパスツールの実験を追試し、パスツール説を否定したのだが、その条件が異なっていた

溶液中に枯草の浸出液を満たしたので、醗酵素を加えなくとも細菌が増殖できたのである

プーシェの反対が収まらなかったので、パスツールは科学アカデミーにこの問題の決着を要請、公開実験が行われることになった

しかし、プーシェ側はその場から逃げ出したのであった

ただ、煮沸された枯草浸出液に何も加えずに細菌が生ずるというプーシェの観察も間違っていなかった

後にパスツールらは、枯草浸出液中に長時間の煮沸にも耐える細菌の芽胞が存在することを証明し、改めて自然発生説を否定した































Henry Carlton Bastian (1837-1915)



激しいパスツール批判を行っていた学者に、イギリスのヘンリー・カールトン・バスティアン(1837-1815)がいる

彼は、長く煮沸した尿について、確かに醗酵しないことを認めた

しかし、この尿に少量のアルカリを加えると、醗酵素なしでも細菌が発育し、混濁してくる

バスティアンは、これを生物の自然発生の証拠であると考えたのである

パスツールは、煮沸された尿にも芽胞が含まれ、普通は酸性である尿が弱酸性あるいは中性になれば、細菌は増殖することを示した































Charles Chamberland (1851-1908)



この結果から、微生物の中には長い煮沸にも耐えるものがあることが明らかになり、これ以降、108~120℃にまで加熱しなければならなくなった

さらに、芽胞で汚染された容器のようなものの滅菌には、140℃まで加熱する必要が出てきた

このため、新しい装置の開発が求められた

今ではこの領域には不可欠になっているオートクレーブは、パスツールと共に働いていたフランスのシャルル・シャンベラン(1851-1908)の努力により開発された


このような論争の中でも生き残ったパスツールの学説は、次のように纏めることができるだろう

「腐敗と醗酵は微細有機体すなわち現在の微生物の活動によるものであり、その起原は自然発生ではなく、同じ微生物である」

メチニコフは、この結論があくまでも科学的なものから導き出されたものであることを強調している

すでに触れたように、そこに生気論的な思考を見る人もいるが、パスツールは生命現象の化学性を否定したことはなかった

また、パスツールは宗教的確信からこの結論を導いたとする人もいるが、彼自身がそれを否定している








2022年7月26日火曜日

メチニコフの『近代医学の建設者』を読む(3)




























 Élie Metchnikoff (1845-1916)




一日がどんどん長く感じられるようになっている

これ自体、素晴らしいことだ

その上で、一日を途中で諦めたり、流したりせず、最後まで突き詰めることができれば、その先に何かが見えてくる

これも最近の実感である


ところで、『免疫学者のパリ心景』を通読したという方から便りがあった

雑誌掲載時とは様変わりし、最初から最後までテンポ良く読むことができた

文章そのものは静かな中に、何か太い思索の跡が滲み出ていて、読み応えある本だった

今、2回目を読みながら、気になる部分をノートに書き落とす作業をしているとのこと

ありがたい読者の存在を確認したところで、今日もメチニコフ(1845-1916)に進みたい



『近代医学の建設者』の第3章「パスツールの醗酵説」である

パスツール(1822-1895)は結晶化学(分子の非対称性)の理論的研究で科学界に現れ、そこから醗酵の研究に移行していった

1857年、パスツール35歳の時、乳糖の醗酵に関する論文を発表

そこに微細な生物、すなわち乳酸発酵の種を発見し、リービッヒ(1803-1873)説に異議を申し立てたのである

リービッヒ説では、酒精醗酵以外の醗酵には生物は関与しないとしていた

パスツールは論文にこう書いている

「顕微鏡で見ると、その酵母は小球状あるいは非常に短い形のもので、ばらばらになったりかたまっていたりして、無定形の沈殿物に似た不規則な綿屑のようなものになっている」
「この論文を通じて私は新たに発見された酵母が有機体であり、一個の生物であって、糖におよぼす化学作用はその発育と有機的組織に相関しているという仮説を推定した。もしこの結論が事実を越えているとあえて言う人があるとすれば、私は、厳格に言えばまだ論議の余地のないほどには証明できていない、ある種の思想に、断固として身を投じたのであって、その考え方からするとこれが本当である、と答えるであろう」(以上の引用は宮村定男訳)


彼はさらに、無定形物質を除いた条件で実験 し、小球状のものが原因であることを示した

また、他の醗酵系(酒精、醋酸酪酸)についても研究を広げ、「酵素の特異性」という概念を作った





























Eduard Buchner (1860-1916)




パスツールの死後、ドイツの化学者エドゥアルト・ブフナー(1860-1917)は、ビール酵母から「チマーゼ」という非生物物質を抽出

この物質は酵母の生細胞がなくても醗酵を誘導した

これはパスツール説の論駁になり、リービッヒ説の確証だと考えた学者もいたが、メチニコフはその見方を否定している

リービッヒ説は、醗酵に生細胞は必要なく、醗酵素の分解産物か、他のタンパク様物質(カゼイングルテンなど)が関与するというもの

これに対してブフナー説は、生きた酵母の中で作られた物質(チマーゼ)が醗酵を引き起こすとしている

従って、酵素の死骸が醗酵に関与することはないのでリービッヒ説の否定にはなるが、パスツール説を否定するものではないとメチニコフは結論している

ただ、これを「活力論(生気論)」とする者がいるが、それに対しては明確に批判している

この言葉には、醗酵が何か神秘的な活力によると思わせるところがあるからである








2022年7月25日月曜日

メチニコフの『近代医学の建設者』を読む(2)





























Justus von Liebig (1803-1873)



今日もメチニコフを読んでいきたい

この本では、パスツール(1822-1895)、リスター(1827-1912)、コッホ(1843-1910)が取り上げられている

少なくとも、パスツールのところだけでも目を通しておきたい

今日は、第2章の「醗酵と伝染病」について


リミア戦争(1853-1856)当時の考え方は、伝染病の伝播は悪臭ガス、すなわち腐敗によるというものであった

従って、腐敗、醗酵の本体を明らかにすることが、伝染病の解明にも繋がると考えられていた

しかし当時の有機化学は、ドイツの化学者リービッヒ(1803-1873)によって支配されていた

彼はしばしば有機物の分解ーー腐敗と醗酵ーーを研究した

この時代、醗酵は微生物(酵母)によるもので、その生活作用で有機物を分解するという仮説が出されていた

これに対してリービッヒは、醗酵に必要なのは生きた酵母ではなく、分解された細胞の死骸であると主張した

伝染病の原因が下等生物によるという仮説にも反対し、こう書いている
「どんなに細心に調べてみても、天然痘、ペスト、梅毒、猩紅熱、麻疹、腸チフス、黄熱、炭疽および狂犬病などの伝染性を説明し得るような微生物や他の生物は発見されることはない」(宮村定男訳)

化学者の意見には特別の注意を払うとされる医学界では、リービッヒの説が広く受け入れられていたのである































Jakob Henle (1809-1885)



そんな中、独自の説を展開する学者もいた

ドイツの病理学者ヤーコプ・ヘンレ(1809-1885)である

彼は、伝染の原因を、体内に侵入し、発育する極微の有機体とし、それが見つからないのは顕微鏡の性能のためであると考えた

しかし、リービッヒの影響が大きかったせいか、ヘンレ自身、この問題の重要性を見ていなかった

メチニコフがヘンレの下で研究した時(1866年頃)には、伝染病の原因は研究室で問題にされていなかったという


化学的見地が生物学を支配していたフランスでは、リービッヒの考え方が教義にもなっていた

この教義と戦うには、いかなる権力にも屈することなく、自らの道を進むことができる学者が必要になる

それがパスツールだったのである









2022年7月24日日曜日

メチニコフの『近代医学の建設者』を読む















今日は、最近の日課から離れてみようという気になった

シンコペーションのような感じだろうか

そこで目に入ったのが、メチニコフ(1845-1916)による『近代医学の建設者』(宮村定男訳、岩波書店、1968)

20歳の夏、この本が出た1週間後に手に入れたことになっている

当時の意識を少しだけ感じることができ驚いたが、読んだ形跡はない

時を経て、それを手にするのも悪くないだろう


メチニコフについては『パリ心景』でも取り上げているが、彼自身が「近代免疫学の建設者」のお一人になる

原典は、Trois fondateurs de la médecine moderne: Pasteur, Lister, Koch (Félix Alcan, 1933)

本書は元々、メチニコフの最晩年に当たる1915年にロシア語で発表されたものの仏訳になる

「無智と誠意の欠如」のために勃発した第1次世界大戦の影響下に書かれた様子が、緒言に出てくる

彼はこの中で、近代医学の建設者として、それぞれ面識のあったパスツール(1822-1895)、リスター(1827-1912)、コッホ(1843-1910)を挙げている


本書は、パスツール以前の医学の紹介から始まる

当時の医学は、病気の症状、診断の方法、臓器の変化を研究、そのために肉眼から顕微鏡の使用が始まった

治療法は専ら経験によるものだが、ジェンナー(1749-1823)による天然痘予防のための種痘法は生まれていた

当時の学界に大きな影響力を持っていたのは、ドイツの病理学者フィルヒョウ(1821-1902)の細胞病理学説であった

これは、病気の本体は、生体を構成する細胞の異常によるとするもので、次のように要約している

「あらゆる病気は結局、多数または少数の生命の要素たる細胞の受動的あるいは能動的の障害(すなわち、細胞内容の物理的化学的変化に従う分子構成によって、その活動能力が変わってきた細胞)というものに帰する」

これをメチニコフは、「ほとんど形而上学的ともいえる公式」と形容していて、少しだけニンマリする

この時期、無限に小さな生物が細胞の機能を侵すという仮説も出されていたが、フィルヒョウはそれを否定

それから、クリミア戦争における統計が出てくる

それによると、戦闘による死者に比して病気や戦傷による死者の方が圧倒的に多いこと、大腿骨骨折手術を受けた者は受けなかった者より死亡率が高いことなどが明らかにされる

微生物による感染が示唆されるが当時の医学は無力で、医学の土台から改造しなければならなかったのである






2022年7月23日土曜日

ゲーテの言葉から(29)

























1830.3.21(日)

「信じられないほどだ。肉体を維持していくのに、精神がどれだけ力を持っているかはね。私はよく腹具合が悪くなるが、精神の意志の力と上体の力で持ちこたえている。ただ精神が肉体に負けてしまわないように注意しなければだめだ!」



1831.2.14(月)

モーツアルト(1756-1791)は五歳で、ベートーヴェン(1770-1827)は八歳で、フンメル(1778-1837)は九歳で周囲を驚かせていることについて

「音楽の才能がたぶん最も早くあらわれるのは、音楽はまったく生まれつきの、内的なものであり、外部からの大きな養分も人生から得た経験も必要でないからだろう。しかし、モーツァルトのような出現は、つねに解きがたい奇蹟であるにちがいない。けれども、もし神が時としてわれわれを驚かせるような、そしてどこからやってくるのか理解できないような偉大な人間にそれを行わないならば、神はいったいどこに奇蹟をおこなう機会を見出すだろうか」



1831.2.17(木)

「たしかに世界は、平地にいるときと、前山の頂にいるときと、また原始山脈の氷河の上にいるときでは、違って見えるだろう。ある立場にたてば、世界の一角は他の立場におけるよりもよく見えるだろうが、しかしそれだけのことで、ある立場における方が別の立場よりも正しいなどということはできない。そのために作家は、自分の人生のそれぞれの年代に記念碑を遺そうとするならば、生まれつきの素質と善意を手放さないこと、どの年代でも純粋に見、感じること、そして二次的な目的をもたず、考えた通りまっすぐ忠実に表現すること、それがとくに大切だ」



1831.2.20(日)

「とかく人間は、自己を天地創造の目的と考え、他のいっさいのものはただ自己との関係において、またそれが自己に奉仕し、役に立つときに限って認めようとしがちだ。人間は植物界と動物界を支配し、他の生物をちょうどよい食べ物としてむさぼり食いながら、神を信じ、父のように自分を養ってくれるその神の慈悲をたたえるのだ。牝牛からは牛乳をしぼり、蜜蜂からは蜜をとり、羊からは羊毛をとって、また事物には自己に役立つ目的を与えることで、それらの物はそのためにつくられたのだと信じている。いや、それどころか、どんな取るに足らぬ雑草でも、人間のために存在しているのではないとは考えてもみないのだ。そして今はまだその利用法がわからないとしても、いつかはきっとみつけ出すだろうと信じているのさ」

「目的を尋ねる質問、つまり、なぜという質問はまったく学問的でない。だが、どのようにしてという質問ならば、一歩前に進めることができる。もし、牛はどのようにして角をもつか、と尋ねるなら、そのことは牛の身体の構造を観察することになり、同時に、なぜ獅子に角がなく、またありえないのかを教えられることになるからだ」










2022年7月22日金曜日

ゲーテの言葉から(28)
































1830.1.3(日)

「妙な気持がするな。五十年前には、ヴォルテール(1694-1778)の支配していた言葉で、現在もこの本(ネルヴァル訳の『ファウスト』)が読まれていることを考えるとね。こういっても、君には私の胸の中を察することができまいね。それに、ヴォルテールやその同時代の偉大な人びとが、私の青年時代にどれほど権威をもっていたか、どれほど道徳の世界全体に君臨していたか、また彼らから自己を大切に守り、自己にしっかり立脚して自然と真の関係を保つために、私がどれだけ骨身を削る思いをしたかというようなことは、私の伝記(『詩と真実』)にはあからさまに書かれてはいないのだよ」



1830.1.31(日)

「私はしばらく前に彼(ミルトン、1608-1674)の『サムソン』を読んだが、これほど古代人の精神を伝えている作品は、近代のどの作家のものにも見当たらないな。これはじつに偉大なことだ。彼自身盲目であったことが、サムソンの状況をあのように真に迫った筆で描き出すうえで役に立っているのだ。ミルトンは紛れもない詩人だった。みんな彼に畏敬の念を抱かなければならない」



1830.2.3(水)

「彼(モーツアルト、1756-1791)が七歳の少年のとき、見たことがあるよ。ちょうど彼が旅行の途すがら、演奏会を開いた折だ。私自身は、十四歳ぐらいだったろう。髪をむすび剣ををおびた彼の幼い姿はいまもまざまざと覚えている」



1830.2.7(日)

「だが、何百万人もの生命と幸福をふみにじってきた男におとずれた末路が、これくらいのものだとすれば、彼に与えられた運命などまだまだなまぬるいものだ。復讐の女神(ネメシス)も、この英雄の偉大さを考えあわせると、ことここに至っても少しは手心を加えないわけにはいかなかったのだろうが。自己を絶対にまで高め、一切をある理念の実現のために犠牲に供することが、どれほど危険なものか、ナポレオン(1769-1821)は身をもって示してくれているのさ」


(山下肇訳)










2022年7月21日木曜日

ゲーテの言葉から(27)、そして山本一清という天文学者




























  ルイ・ガレ(1810-1887)『芸術と自由』




今朝、コズミックフロントという番組で、山本一清(1889-1959)という天文学者がドラマ仕立てで取り上げられていた

専門家とアマチュアの間の垣根を取り除こうという姿勢を持っていたことが分かり、最後まで見ることにした

山本の考えはさらに進んでいて、アマチュアを学問を発展させる上で貴重な存在だという積極的な意味で捉えていた

そして実際、天文学における重要な発見や貢献をした人を育てている

天文学ということで言えば、オーギュスト・コント(1798-1857)も17年に亘りパリの区役所で毎日曜日、講座を開いていたことを思い出す

生涯アマチュア、生涯学生がモットーになっているわたしにとっても、示唆に富む番組であった

暫く、余韻を味わってからアトリエに向かった


今日もゲーテ(1749-1832)である


1829.12.6(日)

「年をとると、若いことろは違ったふうに世の中のことを考えるようになるものだ。そこで私は、デーモンというものは、人間をからかったり馬鹿にしたりするために、誰もが努力目標にするほど魅力に富んでいてしかも誰にも到達できないほど偉大な人物を時たま作ってみせるのだ、という風に考えざるをえないのだよ。こうして、デーモンは、思想も行為も同じように完璧なラファエロ(1483-1520)をつくりあげた。少数のすぐれた後継者たちが彼に接近はしたが、彼に追いついた者は一人もなかった。同様に、音楽における到達不可能なものとして、モーツァルト(1756-1791)をつくりあげた。文学においては、シェークスピア(1564-1616)がそれだ。君はシェークスピアには反対するかもしれないと思うが、私はただ天分について、偉大な生得の天性について、言っているのだよ。ナポレオン(1769-1821)も到達不可能な存在だ。ロシア人が分を心得てコンスタンティノープルまで侵入しなかったことは、たしかに偉大だが、こういう特性はナポレオンにもあるのさ。彼もおのれの分を守って、ローマまではいかなかったのだからね」



1829.12.16(水)

「要するに、メフィストーフェレスホムンクルスよりも不利な立場にあることに、君は気がつくだろう。つまり千里眼的な精神力という点では、同じだが、美しいものや何ごとかを促進するような活動への傾向ということになると、ホムンクルスの方が、はるかにうわ手だ。それにしてもホムンクルスは、彼のことを叔父さんと呼んでいる。そのわけは、ホムンクルスのような霊的な存在は、完全に人間化していても、まだまだふさぎこんだり偏狭固陋になったりはしていないので、デーモンの中に数えられてもいいのだ。その点で、両者には、一種の親類関係があるのだな」



1829.12.20(日)

「そういう人たちがなみはずれた仕事をやるのは、まさにその繊細な体質あってのことなのだよ。そのおかげで、稀有の感受性にもめぐまれるし、天の声も聞きとれるわけだ。ところでそういう体質は、世間や自然とのあいだにもつれをおこすと、簡単にかき乱されたり、傷つけられやすいから、ヴォルテール(1694-1778)みたいに、偉大な感受性と異常なねばり強さとをあわせ持っていないと、しょっちゅう病におかされてしまうことになる。シラー(1759-1805)も、病気ばかりしていたね。はじめて彼と知り合ったとき、この男は一月ともつまいと思ったよ。けれども、彼にも一種のねばり強さがあって、それからなお何年も持ちこたえたし、もっと健康な生活を送っていたなら、まだまだ生きのびただろう」


「芸術家が今も昔もやっていることは、自分自身がそれを作ったときに持っていた気分の中へわれわれを浸すことだ。芸術家の自由な気分は、われわれを自由にする。その反対に、不安な気分であれば、われわれを不安にする。芸術家のこのような自由というのは、ふつう彼が自分の仕事を十分に発展させ得たところに生れるもので、だから、オランダ派の絵画は、見ていて気持ちがよいわけだが、それはあの画家たちが自家薬籠中のものにしている身近な生活を描いているからに他ならないのさ」


(山下肇訳)