Herman van Swanevelt (1603-1655)
1831.12.21(水)
「彼(ヘルマン・ファン・スワーネフェルト、1603-1655)には、趣味としての芸術、および芸術としての趣味が、他のだれにも類のないほどにみとめられる。彼は自然にたいして、うちに秘めた愛と神々しいまでの心のやすらぎをもっているが、そういう心のやすらぎは、彼の絵を眺めているとき、われわれにも伝わってくる。オランダに生まれ、ローマのクロード・ロラン(1600-1682)のもとで勉強した彼は、この師によって十二分に修練をつみ、彼独特のすばらしい持ち味をまったく自由自在に発展させたのだ」
1832.3
「詩人が政治的に活動しようとすれば、ある党派に身をゆだねなければならない。そしてそうなれば、彼はもう詩人でなくなってしまう。その自由な精神と偏見のない見解には別れをつげ、そのかわりに偏狭さと盲目的な憎悪という帽子を耳まですっぽりとかぶらねばならなくなってしまうのさ」
「詩人は、人間および市民として、その祖国を愛するだろう。しかし、詩的な力と詩的な活動の祖国というものは、善であり、高貴さであり、さらに美であって、特別の州とか特別の国とかにかぎられていはしない。どこにでも見つけしだいにそれを捉えて、描くのだ。その点では、鷲に似ているね。鷲は国々の上空を自由に眺めながら飛びまわり、捉えようとするウサギがプロイセンを走っていようがザクセンを走っていようが、そんなことにはお構いなしだから」
「それにしても、いったい祖国を愛するということは、どういうことなのだろうか。そして祖国のために働くということは? ある詩人が一生涯、有害な偏見とたたかい、偏狭な見解を打ちやぶり、国民の知性を啓発して、その趣味をきよめ、志操と考え方を高めるために努力したとしたら、いったいそれ以上になにをしたらよいというのだろうか、そしてそれ以上に、どうやって国のために働けばよいというのだろうか?」
「知ってのように、私は自分のことでなにを書かれてもほとんど気にとめないが、それでも耳には入ってくる。また、私が生涯こんなに苦労したというのに、私のすべての作品がある種の人たちの目には一べつにも値しないらしいということも、よく知っている。私が政治的な党派に属するのをはねつけていたからだよ。そういう連中に気に入られるには、私もジャコバン・クラブの一員となって、殺戮や流血の話を説いてまわらねばならないだろう。ーーだが、もうこれ以上こんなつまらん話はやめるとしよう。ばかなことにかかわりあっていると、こっちまでばかになってしまう」
(山下肇訳)
この後、1832年3月22日にゲーテ亡くなる 享年82
ゲーテの言葉はまだ続く予定
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