Jean-Jacques Ampère (1800-1864)
1827.4.18(水)
「たしかに、理性的なものはつねに美しい、というわけにはいかない。けれども、美しいものは、いつも理性的か、あるいは、すくなくとも、そうでなければならない」
「芸術家は、自然に対して二通りの関係を持っている。つまり、自然に対して、主人であると同時に奴隷なのだ。理解してもらうために、現実的手法を頼りに仕事をしなければならないから、彼は奴隷だ。だが、この現実手法を、一段と高い意図の下に従属させて駆使しているかぎりにおいて、主人なのだよ」
「芸術家は、世界に向かって一つの全体を通して語りかけようとする。けれども、そういう全体は、自然の中には見つからないのさ。彼自身の精神からの結実なのだよ。あるいは、実り多い神の息吹に吹きつけられて実を結んだもの、といってもよいだろう」
1827.4.25(水)
「ところで、パリのような都市を考えてみたまえ。そこでは、大国の最高の頭脳がたった一箇所へ寄り集って、日々の付き合いや、議論や、競争の中でおたがいに切磋琢磨している。そこでは、全世界の各国から来た自然の物産や芸術作品の最高のものが、日々の展覧に供せられている。こういう世界都市を考えてもみたまえ。一つの橋、一つの広場へ足を運んでも、そこには偉大な過去の思い出が宿っている。どの街角にも、歴史の一齣が繰り広げられているのだ。そして、こうしたすべてのことの上に立って、陰湿な活気のない時代のパリではなく、十九世紀に入ってからのパリを考えてみたまえ。ここ三世代の間には、モリエール(1622-1673)やヴォルテール(1694-1778)やディドロ(1713-1784)といった人たちの力で、世界中のどの地点にも二度と起こらないほどの豊かな精神の交流が見られたのだ。だからこそ、アンペール(ジャン・ジャック、1800-1864)のような立派な頭脳がその流れの中で育ち、二十四歳ぐらいでちゃんとしたものになることができたのだね」
「そこで、ねえ、君。くり返していうが、一人の天才が急速にのびのびと成長するには、国民の中に精神と教養がたっぷりと普及していることが大切なのだ」
「私たちは、古代ギリシャの悲劇に驚歎する。けれども、よくよく考えてみれば、個々の作者よりも、むしろ、その作品を可能ならしめたあの時代と国民に驚歎すべきなのだ。なぜなら、たとえ古代ギリシャ悲劇の中にも多少の差異があり、ある詩人が他の詩人よりいくらか偉大で、完成しているように見えても、大雑把に見れば、全体を通じてただ一つだけの性格があるのだ。規模の大きさ、力強さ、健康さ、人間的な完成、高度な生活の知恵、卓抜した思考法、純粋でたくましい直観、といった性格がそれだ。そのほかにもいろいろと特質を数え上げることもできよう。ところが、これらの特質のすべては、現存する戯曲に見られるばかりでなく、抒情詩や叙事詩にも見られるだろう。さらに、哲学者にも修辞学者にも歴史家にも見出せるし、今日まで残っている彫刻作品の中にも、同じように大いに見られるだろう。だとすると、そういう特質はたんに個々の人物にそなわっているばかりでなく、その国民やその時代全体のものであり、その中に普及していたと確信しなければならないだろう」
「われわれドイツ人は、まだ未熟なのだ。なるほど、ここ一世紀の間にいちじるしく文明化した。けれども、わが国民の間に豊かな精神と高度の教養が浸透し、広く一般に行きわたるまでには、まだ二世紀三世紀はかかるだろう。そのあかつきに、はじめてギリシャ人のように美を崇び、見事な歌に酔いしれて、ドイツ人が野蛮だったのは、昔の話だ、といわれるようになりたいものさ」
(山下肇訳)
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