George Gordon Byron (1788-1824)
大雨の翌朝、青空が覗くのは気持ちの良いものである
今日もゲーテ(1749-1832)の声を聞いてみたい
1824.5.18 [25](火)
「科学にたずさわる人は、なんらかの偏狭な信条にとらわれてしまうと、たちまち素直で正確な理解ができなくなる。かたくなな火成論者は、いつでも火成論者という眼鏡を通してしか見ないだろうし、水成論者や最近の隆起理論の信奉者も自己流の物のみかたしかできないわけさ。およそ融通のきかない一つの方向にとらわれているこういった理論家の世界観というのは、素朴さを失ってしまっていて、事物はもう自然のままの純粋な姿では現れてこないのだ」
「けっきょくバイロン(1788-1824)はあの若さで死んだけれども、その文学はそこで発展を止められたために損失を蒙ったかというと、本質的にはそんなことはないのだよ。バイロンは、ある意味では、あれ以上進めなかったといえようね。彼は、創造力の絶頂に到達していたし、たとえ、なお引きつづき書いたとしても、彼は、自らの才能を劃していた限界をのり越えることはできなかっただろう。あの難解な詩『最後の審判の日』において、かれは自分の能力を出しつくしたのだな」
1825.3.22 [?](火)
「しかし、ここで肝心なのは、大公がすっかり私の手にまかせて下さり、私が思うままに監督し、制作することができたという点だよ。私は、豪華な装飾や派手な楽屋などには目もくれず、ひたすら優秀な脚本に目をかけた。上は悲劇から下は茶番劇にいたるまで、どんな形式のものでも結構だ。しかし、その脚本は、天分に恵まれたものでなければならぬ。偉大で才能豊かなもの、明るくて優美なもの、しかもどんなときでも健全であることと、何らかの核心のあることが必要だった。病的なもの、虚弱なもの、お涙頂戴もの、感傷的なもの、また恐怖もの、残酷もの、良俗を害するものは、すべてはじめから閉め出した。そういうものによって俳優と観衆が堕落するおそれがあったからだよ」
(山下肇訳)
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