François Guizot (1787-1874)
1830.1.25(月)
「つまり、この高度な天分なくして、真に偉大な自然科学者というものは考えられない。ところで、私の言う想像力とは、実在しないものを空想するようなあやふやなものではない。私の考える想像力とは、現実の基盤から遊離したものではなく、現実的な周知のものに照らして、物事を予想し、推測しようとすることなのだよ。そのばあい、想像力は、この予想したものが可能であるかどうか、他の既知の法則と矛盾しないかどうかを吟味するだろう。しかし、このような想像力が幅広い冷静な頭脳を前提とすることはもちろんさ。生きた世界とその諸法則を、意のままに洞察できる人であることが必要なのだ」
1830.1.31(日)
「ギゾー(フランソワ、1787-1874)は、私の好きなタイプの男だね。彼は、まじめだよ。彼は、深遠な知識を持っている。その知識は党派を超えて独自の道を進んでいる啓蒙的な自由主義と結びついている。私は、彼がこんど議員に選出された国会でどんな役割を演ずるのか、見たくてたまらないね」
「彼を非難するのは、どういう種類のペダントリーのためか、了解に苦しむね。生活の仕方に一種の規則性と確固たる原則を持っていて、思慮深くて、人生の出来事をいいかげんにあしらわないような傑物は、皮相な見方しかしない連中の目に、えてしてペダントリーとして映るものだ。ギゾーは、見通しのきく、冷静な、しっかりした男だ。フランス人の小器用さとは対照的なこの人物は、いくら評価しても評価し足りない。まさにこういう人物こそフランスには必要なのだよ」
「クザン(ヴィクトル、1792-1867)となると、われわれドイツ人にはほとんど得るところがない。彼が、新しくその国民にもたらした哲学は、われわれにはずっと以前から周知のものだよ。けれども、フランス人にとっては、たいへん重要な人物だ。彼は、フランス人にまったく新しい方向を与えるだろうね」
「偉大な自然科学者であるキュヴィエ(ジョルジュ、1769-1832)は、驚歎すべき描写と文体を持っている。彼よりも上手に事実の説明をする人はいない。けれども、彼には、哲学というものがほとんど皆無だな。彼は物知りの弟子を育てても、深みのある弟子を育てられないだろうね」
Étienne Dumont (1759-1829)
「私にとって、きわめて興味のある問題は、デュモン(エティエンヌ、1759-1829)のように、聡明で、穏健で、有能な男が、ベンサム(ジェレミー、1748-1832)のような狂人の弟子であり、忠実な崇拝者だったということだ」
「一人の老人(ベンサム)が、長い人生遍歴を終えるにあたって、その最後の時になお急進主義者となることができたのだ。これは、私にとって新しい問題だね」
「デュモンは、まさに穏健な自由主義者だ。すべての賢明な人びとは、そうであるし、そうであるべきだね。私自身もそうだし、長い生涯をその精神において活動するよう努力してきた」
「本物の自由主義者は、自分の使いこなせる手段によって、いつもできる範囲で、良いことを実行しようとするものだ。しかし、必要悪を、力ずくですぐに根絶しようとはしない。彼は、賢明な進歩を通じて、少しずつ社会の欠陥を取り除こうとする。暴力的な方法によって、同時に同量の良いことを駄目にするようなことはしない。彼は、このつねに不完全な世界においては、時と状況に恵まれて、より良いものを獲得できるまで、ある程度の善で満足するのだよ」
(山下肇訳)
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