Étienne Geoffroy Saint-Hilaire (1772-1844)
1830.8.2[?](月)
「私が問題にしているのは、ぜんぜん別のことだ。私は、学士院で公然と持ちあがった学問にとって重要な意義のある、キュヴィエ(1769-1832)とジョフロア・ド・サン・ティレール(1772-1844)のあいだの論争のことをいっているのだよ!」
「この事件には、きわめて重大な意義がある。君には、私が七月十九日の会議の報告を受けてどう感じたか、想像もできないだろうな。われわれは、今や永久にジョフロア・ド・サン・ティレールという強力な同盟者を得たのだ。だが、それと同時に、この報告からみて、この事件に対するフランスの学界の関心がどんなに大きいかということも、わかるな。なにしろあの恐るべき政治的動揺にもかかわらず、七月十九日の会議は満員の盛況だったというからね。しかし、何よりも結構なことは、ジョフロアによってフランスへ導入された総合的な自然研究法が、今やもう引っ込みのつかぬものになっていることだ。この事件は、学士院における自由討論を通して、しかも、大勢の聴衆の目の前で行なわれ、いよいよ公然となった。もはや秘密委員会にまわされたり、非公開の席でもみ消されたり、弾圧されたりすることはありえないのだ。これからは、フランスにおいても自然研究の場では、精神が支配者となり、物質を意のままに扱うようになるだろう。人びとは、偉大なる創造の原理、すなわち神の神秘的な仕事場をうかがい知るようになるだろう!――実際また、われわれが分析的方法に従って単に個々ばらばらの物質の部分だけを研究して、その各部分に方向を与え、内在する一つの法則によってどんなに度外れたものをも制御したり認めたりする精神の息吹きを感じないとしたら、自然とどれほど親しんだところで、所詮はなんにもならないよ!」
1830.10.20(水)
「私の考えでは、だれしも、自分自身の足元からはじめ、自分の幸福をまず築かねばならないと思う。そうすれば、結局まちがいなく全体の幸福も生まれてくるだろう。とにかく、あの説(サン・シモン主義)はまったく私には非実際的で実行できないことのように思うね。あれは、あらゆる自然、あらゆる経験、数千年来のあらゆる事物の歩みに逆らうものだ。もし、めいめいが個人としてその義務を果たし、めいめいがその身近な職業の範囲内で有能かつ有為敏腕であるなら、全体の福祉も向上するだろう。私は、作家という天職に就いているが、大衆が何を求めているかとか、私が全体のためにどう役立っているかなどということを決して問題にしてこなかった。それどころか、私がひたすら目指してきたのは、自分自身というものをさらに賢明に、さらに良くすること、自分自身の人格内容を高める、さらに自分が善だ、真実だと認めたものを表現することであった。もちろん、これが広範囲に影響を与え、かつ貢献したことを、私も否定するわけではない。しかし、これは目的ではなく、自然力のあらゆる作用の際におこるように、まったく必然的な結果だったのだ」
(山下肇訳)
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