Carl August (1757-1828)
1828.3.12(水)
「それはとにかく、われわれ年とったヨーロッパ人は、多かれ少なかれ、何につけても恵まれていないな。われわれの状態は、あまりにも人工的で複雑すぎるよ。われわれの食物や生活方法は、本当の意味で自然さがないし、われわれの人間付き合いには、まことの愛情も善意もない始末だ。猫も杓子も垢抜けして、丁重だが、誰一人として、勇気をもって、温かみと誠実さを表わそうともしない。だから、素朴な性分や心情を持った正直な人は、じつにまずい立場に置かれている。たった一度でいいから、嘘いつわりのない人間らしい生活を純粋に味わうために、南洋の島あたりのいわゆる野蛮人にでも生まれてみたい気がすることがよくあるね」
「血統のためか、土地柄のためか、自由な憲法のためか、健全な教育のためか――いずれにしても、イギリス人は、総じてほかの多くの国民よりすぐれたところがあるようだ。このヴァイマルには、ご存知の通りイギリス人はまったく少人数しかいない。しかも多分、一流の人たちとはいえまい。だが、それでいて、みんななんという優秀なすばらしい人たちだろう! とても若くて、十七歳位でこちらへ来ている人までいるが、この異国のドイツにいて、決して外国人だと感じたり、とまどいを感じたりしないのだな。むしろ、社交界で見かける彼らの立居振舞は、自信満々で、のびのびしており、まるで、どこへ行っても自分たちが中心人物で、世界が自分のものであるかのようだ」
1828.10.23(木)
「彼(カール・アウグスト大公、1757-1828.6.4)は、総合的な人物だった。しかも、彼のばあい、すべてはただ一つの偉大な源泉から発していたよ。全体としても結構なら、部分も結構だった。彼は、自分の望むままに、仕事をすることができた。それはそれとして、彼が統治を行うためには、とくに三つのことが役に立った。彼は、精神と性格を区別して、適材を適所に配置する才能を持っておられた。これは、じつに大したことだね。もう一つの彼の持ち味は、それに勝るものでないにしても、同じくらい大切なことだ。つまり、この上なく崇高な善意と至純な人間愛を心に宿しておられ、全霊をあげて最善をつくそうとされた。つねにこの国の幸福を第一に、そしてご自分のことは最後の最後にほんのわずかだけ考えておられた。高潔な人を迎えて、よい目的の促進を援助するために、その手はいつでも用意され、開かれていた。彼には神々しいところがたくさんあった」
「第三に、彼は周囲の者より偉大だった。ある事件について十人十色の声が耳に入ってきても、彼は、ご自分の心の中で十一番目のもっともよい声を聞いておられた。他人の囁き声には、耳を貸さなかった。容易なことでは、君主にあるまじき類のことはなさらなかった。だから、他人にごまかされて功績のある人を斥けたり、へつらう輩を庇護されたりすることはなかった。彼は、至るところ自分の目で確かめ、自分で判断を下し、どんなばあいでも自分の内にしっかりと基盤を持って事に当たられた。その上、口の重い性分で、言葉は行動の後から出た」
「薪が燃えるのは、その中に燃える要素を持っているからだ。人間が名を顕わすのは、その人に有名になる素質が備わっているからだよ。名声は求めて得られるものではない。それをどんなに追いまわしたところで、無駄さ。利口に立ちまわって、いろいろと策を弄して、まあ一種の名声を挙げることはできるかもしれないが、心の内に宝石がなければそれは空しいもので、長続きするはずもないよ」
「まったく同じことが、国民の敬愛についても言えるね。大公は、それを求めなかった。けっして人びとに媚びなかった。けれども、国民は彼を愛した。大公が彼らに思いやりを持っていられる、と人びとの方で感じたからだね」
(山下肇訳)
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