Molière (1622-1673)
1827.3.28(水)
「同類のものは、われわれを安心させる。しかし、反対のものは、われわれを創造的にしてくれるよ」
「彼(ヘルマン・フリードリヒ・ヒンリヒス、1794-1861)と同じように哲学的な準備ができていなければ、よく飲みこめないだろうね。けれでも、正直な話ヒンリヒスのようなたくましい素質を持っているはずの北ドイツ沿岸育ちの人間が、ヘーゲル(1770-1831)哲学を身につけたばっかりに、自然のままに物を見たり考えたりできなくなり、しだいに思考と表現がぎこちなくなり、わざとらしくなったのは、残念な話だ。そのため彼の本を読んでいても、ある箇所へ来ると、こちらの理解力が完全に止まってしまい、何が書いてあるのかさっぱりわからずじまいになるのだよ」
「われわれが、現代的な目的にそって演劇術を学ぼうとするなら、モリエール(1622-1673)こそ、われわれの頼むに足る人物だろう」
「私は、青年のころから、モリエールを知って、愛読してきた。私は、全生涯を通じて彼に学んできたよ。私は、たえずすぐれたものに触れるために、毎年、モリエールの作品を二、三篇読みつづけている。私が彼に魅せられるのは、たんにその申し分のない技巧だけではない。とりわけ、その詩人の愛すべき天分、高い教養を身につけた精神だ。彼は、作法にかなったものに対する優美な礼儀を心得ている。心の通じあう微妙な調べをそなえている。それは、生来のすばらしい天才が、その世紀の第一流の人たちと交わってはじめて到達できるたぐいのもののようだ」
1827.4.1(日)
「俳優はじっさい、彫刻家や画家のところへも修業に行った方がよいだろう。ギリシャの英雄を演じるためには、今でも残っている古代の彫刻作品を十分研究して、その座った姿、立ち姿、歩き姿のもつ自然な優雅さを肝に銘じておくことがぜひ必要だ。
また、肉体的なことだけでも不十分だ。俳優は、古今の一流作家を熱心に研究して、自分の精神を大いに磨かなければだめだ。それは自分の役の理解に役立つばかりでなく、その人の立居振舞全体を上品なものにするだろう」
「他のもろもろの善と同様に、神おんみずからによって生み出されたのだ。それは、人間の反省の産物などではなく、神によって創造された、生まれながらの美しい資質なのだ。それは、多少の差こそあれ一般の人間に生まれつき与えられているものだ。だが、少数のとりわけ恵まれた人びとには、それは十分具わっている。こういう人びとは、偉大な行為や教義を通じて、その神々しい心を顕現する。そこで、その表現の美しさによって、人びとの愛を得、尊敬を受け、争って私淑されたのだ」
「けれども、道徳的な美や善の値打ちは、体験をつみ、知恵を磨いてはじめて自覚されるようになったのだ。というのは、悪はその結果において個人の幸福も全体の幸福も破壊するものであり、それに対して、気高いもの、正しいものは個人の幸福と全体の幸福をもたらし、これを確実なものにすることがはっきりしたからだ。こうして、道徳的な美が教義となり、明白なこととしてあらゆる民族に拡大していったのさ」
Sophocle (497/6 BC-406/5 BC
「偉大な劇作家は、もし、彼が創造的であると同時に、強い高尚な意見を心に抱いていて、それが全作品に一貫しているなら、彼の作品の魂を全民族の魂とすることもできるだろう。思うに、それは苦労のし甲斐のあることだな。コルネイユ(1606-1684)から生じた影響は、英雄の魂をつくり出すことまでできた。これは、英雄的な民族を求めていたナポレオン(1769-1821)にとって大切なことだった。だから、ナポレオンは、コルネイユについて、彼が生きていたら、王侯にしてやったのに、といったわけだ。自らの使命をわきまえている劇作家は、不断に一層高い自己発展のために精を出すべきで、そうすれば、彼が民族に及ぼす影響は、有益で高尚なものになることだろう」
「生まれが同時代、仕事が同業、といった身近な人から学ぶ必要はない。何世紀も不変の価値、不変の名声を保ってきた作品を持つ過去の偉大な人物にこそ学ぶことだ。こんなことはいわれなくても、現にすぐれた天分に恵まれた人なら、心の中でその必要を感じるだろうし、逆に偉大な先人と交わりたいという欲求こそ、高度な素質のある証拠なのだ。モリエールに学ぶのもいい。シェークスピア(1564-1616)に学ぶのもいい。けれども、なによりもまず、古代ギリシャ人に、一にも二にもギリシャ人に学ぶべきだよ」
(山下肇訳)
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