2022年8月8日月曜日

ゲーテの言葉から(35)






























  Friedrich Schiller (1759-1805)





1824.1.4(日)

「結局、人びとは私にけっして満足しなかった。そしていつも、神のおぼしめしによって創られた私と別な私を、求めた。また、私の著した作品に満足することもめったになかったね。私が、全心全霊を打ちこんで昼夜をわかたず苦心惨たん世のためにつくそうと新しい作品を書き上げても、人びとは自分たちに感謝しろと要求し、そうすればまあ、勘弁してやる、という始末さ。誉めてくれたときでも、私がそれを喜んで自己満足して、当然の贈り物として受け取ってはいけなかったのだよ。人々は、私がそれを辞退し遠慮して、身を屈して私という人間も作品もまったくつまらないものだ、と表明することを期待したのだ。しかし、そんなことは、私の性分に反したな。万一、私がそんなふうに伴(いつわ)ったり嘘をつこうとしたりしたなら、私は、一個のあさましいルンペンになりさがってしまったにちがいないよ」


「人びとはどうしても、ありのままの私を見ようとしないのさ。私を赤裸々に示しているはずの一切のものからは目をそらせているのだ。ところがシラー(1759-1805)は、われわれの仲間内では私よりはるかに貴族主義者であったが、そのくせ私よりはるかに言葉を慎んだので、民衆の友と考えられるという妙な幸運を得ているのだよ。私は、そのことを心から祝福するとともに、他の人びとが私とあまり変わらぬめぐりあわせであったことを考えあわせて、自分を慰めているわけだ」


「私がフランス革命の友になりえなかったことは、ほんとうだ。なぜなら、あの惨害があまりにも身近で起こり、日々刻々と私を憤慨させたからだ。同時に、そのよい結果は、当時まだ予想することもできなかった。それにまた、フランスでは大きな必然性の結果であったのと同じ場面を、ドイツでも人工的にひき起こそうと目論んでいる連中がいるのに、私は知らぬ顔をしているわけにはいかなかったのだよ」

「だからといって、私は、横暴な専制主義の友でもなかったのだ。また、どんな大きな革命も決して民衆に責任があるのではなく、政府に責任があると堅く信じていた。政府がいつも正しく、絶えず目覚めていて、したがって革命に対して時宜に適した改良で対処し、下からの圧力で止むをえざる事態になるまで抵抗するといったことがなかったら、革命などまったく起こらない筈だ」


「その上さらに、ある国民にとっては、他国民の真似ではなく、その国民自身の本質から、その国民自身の共通の要求から生じてきたものだけが、これは善であると言えるのだよ。なぜなら、ある国民にとって一定の発展段階で結構な栄養分でありうるものも、他の国民にとっては毒になるばあいもありうるのだからね。だから、ある外国の改革を導入しようとする試みは、自国民の本質に深く根ざした要求でないかぎり、すべて愚かなことだ。そうした故意に企てられた革命などは、いっさい成功しないものだよ。というのもそこには神がいないからだ神はそうしたいいかげんな仕事には手を出されないからだ。しかし、ある国民の中に大きな改革への真の欲求があるなら、神はその国民とともにあり、その改革は成功する」


(山下肇訳)









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