2023年1月31日火曜日

1月を振り返って































もう月のまとめの時期になった

今年は免疫に関する本のゲラ校正から始まり、現在もその只中にある

具体的には、第2校の校正がもう少しのところまで来ている

というよりも、締め切りが今週中ということである

そのため、他のことには注意が行かなくなっている


もう一つは、今月、これからに向けての一つの方向性が見えてきたことである

これは、これまでやってきたことに一段落が付きそうだという新しい状況が齎したものだろう

これからさらに具体化していきたいものである








2023年1月30日月曜日

タングルウッド音楽祭でアメリカの空気を思い出す















今日は異常に早く目が覚めた

何か意味があるのかと思い、いつものようにテレビを付けてみた

そうすると、コンサートが流れ、女性の司会者?が会場に向かって語り掛けている

聴いていると、タングルウッドとかレニーとかジョンなどという名前が出てきた

これはタングルウッドの音楽祭で、バーンスタイン(1918-1990)やジョン・ウィリアムズ(1932- )のことを言っているのだとすぐに気付く

実際、ジョン・ウィリアムズが出て来た

それから、見覚えがあるのだが名前が出てこない指揮者が登場

暫く頭の中を散歩しているうちに、マイケル・ティルソン・トーマス(1944- )だと思い当たった

バーンスタインの生誕100年を記念しての演奏会で、2018年のものであった

アメリカのオーケストラらしく、非常に力強い演奏であった


これは、わたしがマンハッタンにいた40年ほど前に出来上がった偏見なのかもしれない

実はカーネギーホールでライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団とシカゴ交響楽団を続けて聴いたことがある

初日はクルト・マズア(1927-2015)指揮で、翌日はゲオルク・ショルティ(1912-1997)の指揮だった

初日には何も感じなかったのだが、2日目にシカゴを聴き、風圧として襲ってくるかのようなその音量に圧倒されたのである

初日のオーケストラが室内楽のように感じられたことを思い出す

それ以来、アメリカとヨーロッパのオーケストラに対する偏見が出来上がってしまったようだ

今朝の演奏もどこか動物的な匂いを感じながら聴いていた






2023年1月28日土曜日

「テュモス」を考え直す























昨日も用事があり、外に出た

先日とは打って変わって快晴で風がなかったので比較的快適であった

用事を済ませたあと時間があったので、久し振りに書店に寄ってみた

見かけない雑誌『未来哲学』があったので手に取った

そこに先日取り上げた理性と闘争本能との対比に関連する山内志朗氏のエッセイがあった

この問題を霊魂論との関連で見直してはどうか、というのである

古代ギリシアの霊魂論には、「ヌース」(知性、理性)、プネウマ(気息、生命、こころ)、「プシュケー」(魂)などの他に、「テュモス」(thymos)という概念があった

これは「気概」「気持ち」と訳されるようだが、その中身は「知の沸騰」「激しい息遣い」で、激しく荒々しい心の動きだという

プラトンやアリストテレスにより、「ヌース」が高位で「テュモス」はそれより下に位置し、その見方は理性の時代に入り決定的になったと考えられていた

しかし、その間もこの見方に抗する流れはしっかりと生きていた

事実、20世紀も21世紀も争いが絶えない

理性が抑えるべき対象について見直そうという提案と受け取った

これに関連するエッセイを書いたことがある

  医学のあゆみ 264 (2): 202-206, 2018











2023年1月26日木曜日

極寒の後はゲラの校正































昨日は用事があり、外に出ていた

何でこんな日にという感じで、異常な寒さが身に沁みた

そろそろお歳をお考えになっては、という声も聞こえた

鉄道にも大きな乱れがあったようだ

我々の社会も自然の前には意外に脆いものである



本日、編集者から校正ゲラの一部が届いた

残りのものも考えると、来月の初めまではその検討に当たることになりそうである

そしてタイトルが決まると、長かった全作業が終わりを迎える











2023年1月24日火曜日

九鬼周造との繋がり
































昨日、『免疫学者のパリ心景』の編集者岩永氏から九鬼周造(1888-1941)の墓の写真が送られてきた

会議で京都を訪れた機会に法然院のお墓にお参りした時のものだという

わたしと九鬼との間にどんな繋がりがあるのか

これまで軽く触れたことはあるが、はっきり書いたことはなかったように思う

実は、拙著のタイトルは九鬼の『巴里心景』を生かしたものであった

カタカナで現代に生き返ったことになる

九鬼と特に強い結び付きを感じたことはないのだが、以前のブログに、雰囲気が九鬼に似ているというようなコメントが届いたことはあった

意表をつかれたタイトルであり、「心景」という言葉に詩的なイメージが広がり、これで行くことになったという次第である



昨日、『巴里心景』の方を読み直してみた

「秋の一日」という詩の中の次の一節に、前回読んだ時の印が残っていた

形而上學のない哲學は寂しい、

人間の存在や死を問題にする形而上學が欲しい。 


その嗜好(志向)には同意するところ大である

それにしてもこの湿気はどんなものだろうか








2023年1月23日月曜日

新しい方向性が一つ現れる



















それにしても寒い

去年も同じだったと思われるのだが、それと比較できなくなっている

ということで、相変わらず午後からのスタートで、再校ゲラの校正に当たっている

これまで全く気付かなかった間違いに驚くこともある

何気なく見ていると見えてこないものが、別の作業をやる中で浮かび上がってくるのだ

今の調子だと、あと数日は掛かりそうだ

その後に編集者のバージョンと突き合わせることになる


年が明けてからモヤモヤしていたものから一つ形を見せてきた

次回のカフェで取り上げるアナクシマンドロス(c.610 BC-c.546 BC)も言ったように、始原にあるものは明確なものではないのだ

掴みどころのないところから何かが生まれるのである

今回のものとは違う形が現れることはないのだろうか

そんな期待の中にいる






2023年1月21日土曜日

闘争本能を理性で抑えるということ
























今日も紫煙とともに時を過ごしてから始めることにした

これからに向けてのいろいろな考えが浮かんできた

肯定的な道が見えてきたという感触を掴むことができた


お昼に「少年たちの連合艦隊〜“幸運艦”雪風の戦争〜」という番組が流れていた

以前に観た記憶があるが、もう一度観ることにした

2人の少年兵が語る自らの戦争体験を軸に番組は構成されていた

全体を観ての印象は、健全な目でというか、よく振り返った跡が見えるところに好感を持った

戦争という実態を僅かではあるが感じ取ることができたからだろう

お一方が、当時のことを話しても今の若者には理解されないだろうと語っていた

我々を取り巻く現実の中で、想像するのが難しい事態が進行していたということだろう

人間に組み込まれている闘争本能が駆り立てる戦争を抑えることができるのは、同じく人間に組み込まれているはずの理性を働かせることだけではないかという思いに至る

その意味では、現実に対応するだけの意識の第1層に留まる思考ではなく、第2層、さらに第3層に及ぶ思考を日頃から鍛えておく必要がある

本能はそこにあるが、理性は鍛えなければ働かない

そのことを意識できる状態にしておくことである

これまでの全的生活から得た大きな教訓を確認する時間となった










2023年1月20日金曜日

紫煙の見えざる効果?

























再校ゲラの校正中である

今朝は紫煙を燻らせながらゆっくり過ごす

不思議なもので、紫煙がある時とない時では浮かんでくることが違うようなのだ

今日は大きな決断を促すような心の動きを誘発した

暫くの間、その考えを弄んでからスタートした












2023年1月18日水曜日

再校ゲラの読み、始まる


































今日は用事があり、電車に乗る

暫くするとこんなアナウンスがあり、内心ニンマリ

 「これから野生動物が出没するエリアを通過します
  やむを得ず急ブレーキをかけることがございますので、ご注意ください」

これまで聞いたことがなかったように思うのだが、、

用事は順調に終わった

あまりに順調だったためか、家に戻ってからハプニングが

そこにどんな意味があるのか、もう少し先にならないと分からない



ところで本日、免疫試論の再校ゲラが届いた

今回は、見逃したミスを見つけることと、読み心地がどんなものかがポイントになりそうだ

まだ冒頭部分だが、今のところ問題は見つかっていない

自分の中では、かなりこなれてきているという印象であった








2023年1月17日火曜日

時間をおいて反応すること


























週末を跨いでフランスと書類のやり取りをしていた

こちらの考えで由としても、相手には相手の立場がある

それをクリアしなければならないのだが、現役の時にはなかなか認められなかった

フランスで瞑想的な生活に入り、そのあたりの許容力が一段と高まったと思ったのだが、まだまだであった

対応のポイントは、すぐに反応しないこと、時間をおいて考え直すことで、今回はこの週末を冷却期間とした

その結果、静かな気持ちで対応でき、結果的には問題なく終えることができた

これからも修行が必要であることが分かるエピソードであった



今日の最後に、やっと直近のプロジェとした論文に手を付けることができたのは幸いであった

まだほんの始まりで、先は長い












2023年1月16日月曜日

改めて、今年の方向性を確認する

























昨日のブログ記事を書きながら、一つの考えが巡っていた

それはこれまでに何度も浮かんだものだが、なかなか実行できていないものである

簡単に言うと、新しいところを求めるのではなく、これまでに蓄積したものについて、さらに深く探ることである

すでに自分の中にある大地の下を掘り進む作業になるので、精神的な安定感がまったく違うものと想像される

改めての確認だが、この十数年に堆積したものは当初の予想を遥かに超えている

ブログを少し読み返しただけでも、それが分かる

これから花開くであろう種が至るところにあり、放置しておくと朽ちてしまう

種を生かしきれないのである

こんな考えとともに、種を生かす方向で今年は歩みたいものである







2023年1月15日日曜日

ピュシスに向かう時か


























今月も半分が過ぎた

今春刊行予定の免疫に関するエッセイは今のところ順調に進んでおり、二校を待っている状態だ

これが小休止感を与えている

そのためか、2年ほど前から引っ掛かっていた問題について纏めるプロジェには、まだ手が付いていない

週が改まったので、ギアを入れ直すことにしたい


昨日出てきたピュシス(φύσις)だが、この言葉を知ったのはマルセル・コンシュ(1922-2022)さんからであった

彼が言うピュシスは無限に広がるものを指している

科学が言う宇宙はビッグバンから始まる有限の世界で、ピュシスとは異なるという

そういう話を聞いていると、これまでとは違うイメージが浮かび上がってきて興味をそそられたのを思い出す

そろそろ探索する時が来ているのではないか

phusis (fr)

physis (en)








2023年1月14日土曜日

渡辺京二さんと親鸞さん

























今日の午後チャンネルをひねると、先月92歳で亡くなった渡辺京二(1930-2022)という思想史家が取り上げられていた

途中からだったが、小さきものの視点からものを見てきた方の人生と思想を回顧した番組のようであった

その視点は吉本隆明(1924-2012)との接触の中でご自分の中に確立されてきたものだという

吉本のことを自分の師であると言っていた


最後のところで、親鸞(1173-1263)について話していた

正確ではないかもしれないが、次のようなことを語っているところに興味を惹かれた

阿弥陀さんはすべての人を救うためにあると言われる

それはどういうものなのか

それは実在世界そのものではないのか

この世界に在るありとあらゆるものである

これを聞いて、古代ギリシア人が言ったピュシス(自然:存在するものすべて)を思い出した

その実在世界では、すべての生命体は肯定されている

そう感じることで、全ては救われるのである

「それでいいんじゃないか」と思われる時、阿弥陀さんが現れる

親鸞さんにもそのように阿弥陀さんが現れたのではないか

そんな想像をされていたように見えたのだが、








2023年1月13日金曜日

J'observe donc je suis、あるいは受け身であることの意味


























今日は用事があり、JRを利用

途中、車内放送が流れる

 「只今、鹿と衝突しましたので急停車いたしました」

可能性としてはありえたのだろうが、今回が初めての経験である

鹿さんにはお気の毒であったが、なぜか気持ちが解放されるのを感じた



今しがたテレビを付けると、大西寿男という校正者が取り上げられていた

最近ゲラの校正のやり取りをしたばかりなので、親近感を持ってその仕事ぶりを眺める

何ごとも仕事になると、どんどん深くなるようだ

次のような言葉が印象に残った

 「与えられた受け身ではなく、選び取った受け身であることを忘れない」

それから

 「受け身の方が理解できる」

というような言葉もあったように思う

そのエッセンスは、わたしが2007年に今の領域に入ってから感じ続けてきたことと重なった

より正確には、新しい領域を模索するようになってから、と言うべきだろう

それ以前は、どちらかというとアクターの側面が強かったのではないだろうか

そのため、周りを十全には理解できていなかったと今は思える

理解するためには、意識して受け身でいること、自らをまず感覚器に還元することが重要な要素になり得るのである

わたしの在り方を J'observe donc je suis.(われ観察する 故に我あり)と定義したことを思い出す







2023年1月12日木曜日

15年前のエッセイに触発されて















このところ寒さのためか、朝のうちはのんびりすることが多い

今日もそんな日であった

午後から免疫試論の索引の整理をやる

当初のリストから大幅に削減し、最終的には編集者のアドバイスに則り、一応の最終版を作ることができた

これから本文の再校が来ることになる

このペースで行くと、3月中旬には刊行できるのではないかとのことであった


夕方、先日の記事で紹介した退職記念誌のプチ・エッセイを読み直してみた

今から15-6年前にはどんなことを考えていたのかを確認するためである

まず気付いたことは、フランス滞在で発見したと思っていたことのかなりの部分は、退職前数年間で見つけていたということである

ただ、当時は想像の域にあったもの、表面的だったものが、実際に体験することで、より明確な考えになったり、そこに含まれる内容が豊かになったりというところはあるのだろう

その意味では、フランスに渡る前の問題意識はフランス滞在を経て一先ず解消されたように見える

問題は、フランス滞在中に生まれた新たな問題意識にどのように向き合うのかということだろう

こちらに関しては、まず問題を明確にすることだが、フランスに渡る前とは比べ物にならないほど多種多様なものが浮かび上がってくる

そうではあるのだが、塊を見せ始めたものから手をつけて行ってもよいのではないか

昔の文章を読んで、そんな感想が湧いてきた






2023年1月11日水曜日

「徳認識論と科学の形而上学化」再び


























今日は『免疫学者のパリ心景』の若い読者から嬉しい便りが届いた

読了後、特に印象に残ったのは、第5章にある「徳認識論と科学の形而上学化」についての節(318~323ページ)だったとのこと

エッセイで言えば、第101回(2021.7.10)に当たる

徳認識論と科学の形而上学化が結びつくという観察は「わたしの発見」であった

これなどは、さらに深めるべきテーマになるだろう

少しズレるが、科学から今の領域に入った当初、この領域における発見とは何を言うのかという疑問を抱えていた

しかし次第に、このような観察を発見と言っていいのだと考えるようになり、発見を求めるようになった

そして、そこに至った時には深い悦びを感じることも経験してきた

さて、『パリ心景』の感想に戻ると、総括として「パワーに溢れる書に感謝」というような言葉があった

これまでパワフルという形容はいただいていなかったのではないだろうか

こちらにも活力が伝わってくるようであった









2023年1月10日火曜日

春のカフェ/フォーラムのご案内

























2023年最初の会を以下の要領で開催することにいたしました
皆様の参加をお待ちしております
本年もよろしくお願いいたします



第9回サイファイ・カフェSHE札幌 
 2023年2月25日(土)15:10~17:30 
 テーマ: アナクシマンドロスと科学的思考 
 会場: フルーツ会議室 / 札幌駅前 


第7回 ベルクソン・カフェ / 第9回カフェフィロPAWL 
 2023年3月1日(水)18:00~20:30 
 テーマ: アラン・バディウの幸福論を読む(2)幸福と反哲学
 会場: 恵比寿カルフール B会議室 


第8回サイファイ・フォーラム FPSS 
 2023年3月4日(土)13:10~17:00 
 プログラム:
  矢倉英隆 シリーズ「科学と哲学」② ソクラテス以前の哲学者-2
  久永真市 遺伝子と個性
  市川 洋 「人間の基本的な在り方」と「科学の在り方」
 会場: 恵比寿カルフール C会議室


第16回サイファイ・カフェSHE
 2023年3月8日(水)18:00~20:30 
 テーマ: アナクシマンドロスと科学的思考 
 会場: 恵比寿カルフール B会議室 












2023年1月9日月曜日

準備の一日















今日は、準備中の免疫試論の索引に当たっていた

目に付いたものを拾い上げたせいか、大幅に削除しなければならなくなった

その基準をどうするのか考えていたが、なかなか 纏まらない

取り敢えず、細かい事柄については取り上げないことにしてやってみた

しかし、まだ整理が必要のようだ

毎日少しずつ削っていくしかなさそうである


それから昨日から今日にかけて、春のカフェ/フォーラムの案内を作っていた

気付いたことは、いずれも前回と繋がっているということである

少しは深まることになるのだろうか

この場には明日以降に発表する予定である


プロジェになった論文だが、今日は昔のメモを読み返すところに止まった

明日以降、前に傾くことができるのか

経過観察になる






2023年1月8日日曜日

新年早々プロジェを始めることができるのか

























年を跨いで取り掛かっていた免疫に関するエッセイ(試論)の初校ゲラの校正を終えた

これから二校を待ちながら、索引に当たることになる

それとは別に、以前から始めようと思っていたのだが、なかなか手につかなかった論文がある

一体いつからそう思っていたのかを調べたところ、何と2年も遡る

その時々に別のものに心が向かっていたのだろう

これは「わたしの発見」を纏めて第三者の批判を仰ぐという試みで、プロジェになる

新年早々避けたいと思っていたが、精神に緊張を与えるので偶にはやった方がよいのだろう

ということで、始めることができるのかどうか、これから様子を見ることになる











2023年1月7日土曜日

『免疫学者のパリ心景』の第一印象が届く



















昨年刊行した『免疫学者のパリ心景』についてのツイートを検索しており、偶に覗くことがある

昨日、そこに懐かしい方の以下のようなツイートを発見し、驚く

研究所の図書室から帰ろうとした時、出入り口に立てかけてあった新刊に目がとまった。『免疫学者のパリ心景』。もしやと手に取ったら、昔私が在籍していた研究所におられた免疫学の研究者の著書。当時の颯爽とした風情で、今もパリを闊歩されているご様子のようだ。

15年振りくらいなので早速反応したところ、A氏から丁重なメールが届いた

ツイートにあるように、図書室で白地に青の何か他と違う気配を感じて思わず手に取ってみたところ、拙著だったという

その場で少しだけ読んだ時の感想が書かれてあった

まず、文章が読みやすいこと

活字ばかりのページでも、すっと読み進めてゆける不思議な感覚を持った

本でそのような感覚を得たのは、岡本太郎(1911-1996)の『今日の芸術』(こちらの方は平易な文章だが)を読んだ時以来である

これから購入してお読みいただけるとのこと、有難い


実は、A氏からは以前にもコメントをいただいたことがある

退職時に小冊子を作り、研究所の皆様に配布した

その中に以下のコラム(プチ・エッセイ)を載せた

ダニエル・バレンボイム vs スペシャリスト(2005.3.10)

われ観察す 故にわれあり(2005.8.31)

フランス語資格試験を受験して(2005.11.13)

太陽のもと新しきもの ・・・(2005.12.30)

イメージ、時間、現象学(2006.4.28)

今なぜ「科学精神」なのか(2006.9.26)

時空を超えたやり取り(2006.10.14)

科学すること、賢くなること(2006.12.15)

パスカルによる「私」の定義(2007.1.29)

過去の自分を現在に引き戻す(2007.1.30)

全的に考える(2007.2.12)

そしてこれから(2007.6.30)


そして、その読後感が送られてきた

印象に残っているのは、次の2つである

まず、日頃の印象とは違っていたのか、わたしの中身はすべてが芸術なのですね、ということ

それから、なぜかル・コルビュジエ(1887-1965)を想起させたとあり、驚いたのである

それ以来のコメントであった