2022年7月31日日曜日
メチニコフの『近代医学の建設者』を読む(7)
2022年7月30日土曜日
メチニコフの『近代医学の建設者』を読む(6)
2022年7月29日金曜日
メチニコフの『近代医学の建設者』を読む(5)
Jean Baptiste Biot 1851
今日は、メチニコフ(1845-1916)の手になるパスツール(1822-1895)の人生を眺めてみたい
第7章「パスツールの伝記」である
パスツールの遠い祖先は農奴階級の百姓だったが、曾祖父の代になり96フランで自由の身となり、ジュラの山地に皮なめし工場を建てた
父はナポレオン軍に従軍、下士官で退役し、祖父も継いだ皮なめし業を継承した
ルイ・パスツールは1822年12月27日にドールという小さな町で生まれ、革と樫の樹皮の中で過ごした
ここで、天才についてのメチニコフの観察について紹介したい
彼が集めた資料によれば、天才は第一子には稀だという
例えば、モーツァルト(1756-1791)やワーグナー(1813-1883)は第七子、ショパン(1810-1849)は第四子、ボーマルシェ(1732-1799)は第七子、シェイクスピア(1564-1616)、ヴォルテール(1694-1778)、ヴィクトル・ユーゴー(1802-1885)は第三子、トルストイ(1828-1910)は第四子、ピョートル1世(1672-1725)は第三子、ナポレオン1世(1769-1821)は第四子であった
資料中、唯一の例外はゲーテ(1749-1832)で、17歳の母親の第一子だったという
パスツールも例外ではなく第三子で、幼少時からその才能を発揮することはなく、ただ勉強していたという
パスツールが学んだアルボアの学校長は、彼の性格の特徴として、規則正しく、強い熱意をもって正確に仕事をすることを挙げている
両親は彼が16歳の時に高等師範の予備校に送ったが、ホームシックになり一時期故郷に戻る
しかし、それからブザンソンの中学校に入学、バカロレアを得て、高等師範に2番で合格
20歳でパリに来てからはホームシックにかかることもなく、そこに終生留まった
24歳で物理学のアグレガシオンを獲得したが、高校の教授になるのではなく、高等師範の化学の助手の道を選んだ
そこで化学と物理学に関する学位論文を作成、25歳で2つとも通過させた
1848年2月、国王ルイ・フィリップ(1773- 1850)に対する革命が勃発、共和制が敷かれた
1848年革命という歴史の渦に巻き込まれたパスツールは国民軍に参加、共和制を守るという意志を表明した
この後、化学構造は同じなのに結晶構造が異なる酒石酸塩の研究に戻っていく
普通の酒石酸塩は右旋性であるが、パラ酒石酸塩にはこの性質がない
パスツールは、酒石酸塩の結晶は非対称だが、パラ酒石酸塩は対称性がある筈だと推論
しかし実験結果は、パラ酒石酸塩の結晶も非対称というものであった
そこで彼は、沈殿したパラ酒石酸の結晶を拾い出し、右方に非対称の結晶と左方に非対称の結晶に分けて偏光計にかけた
その結果、右に非対称のものは偏光を右旋させ、左に非対称のものは左旋させること、さらに両者が等量混合したものはその作用がないことを明らかにした
パラ酒石酸塩は右旋性のものと左旋性のものの等量混合物だったのである
当時の権威もお手上げだったこの問題を解決した彼は、まさにアルキメデス(c. 287 BC-212 BC)の「ユレーカ(ヘウレーカ)」状態だったようである
パスツール26歳の時のことである
この結果を知った、偏光に関する発見もあるジャン・バティスト・ビオ(1774-1862)は、彼を招いて実験させ、その結果を確認して感激したという
(つづく)
2022年7月28日木曜日
秋のカフェのご案内
日時: 2022年9月28日(水)18:00~20:30
場所: 恵比寿カルフール B会議室
テーマ:現代フランスの哲学者アラン・バディウ(1937- )の『幸福論』を読む
テクスト: Alain Badiou, Métaphysique du bonheur réel (PUF, 2015)
日時: 2022年10月5日(水)18:00~20:00
場所: 恵比寿カルフール B会議室
テーマ: パスツールのやったことを振り返る
今年はパスツール(1822-1895)の生誕200年に当たる
この機会に、パスツールの足跡を振り返るのも悪くないだろう
わたし自身、フランスにいる時には、なぜかその中に入ることができなかった
余りにも良く知られた人物だったので躊躇したのかもしれない
今回、少し離れたところから彼のやったことを検討することにした
2022年7月27日水曜日
メチニコフの『近代医学の建設者』を読む(4)
「腐敗と醗酵は微細有機体すなわち現在の微生物の活動によるものであり、その起原は自然発生ではなく、同じ微生物である」
2022年7月26日火曜日
メチニコフの『近代医学の建設者』を読む(3)
「顕微鏡で見ると、その酵母は小球状あるいは非常に短い形のもので、ばらばらになったりかたまっていたりして、無定形の沈殿物に似た不規則な綿屑のようなものになっている」
「この論文を通じて私は新たに発見された酵母が有機体であり、一個の生物であって、糖におよぼす化学作用はその発育と有機的組織に相関しているという仮説を推定した。もしこの結論が事実を越えているとあえて言う人があるとすれば、私は、厳格に言えばまだ論議の余地のないほどには証明できていない、ある種の思想に、断固として身を投じたのであって、その考え方からするとこれが本当である、と答えるであろう」(以上の引用は宮村定男訳)
彼はさらに、無定形物質を除いた条件で実験 し、小球状のものが原因であることを示した
また、他の醗酵系(酒精、醋酸、酪酸)についても研究を広げ、「酵素の特異性」という概念を作った
2022年7月25日月曜日
メチニコフの『近代医学の建設者』を読む(2)
「どんなに細心に調べてみても、天然痘、ペスト、梅毒、猩紅熱、麻疹、腸チフス、黄熱、炭疽および狂犬病などの伝染性を説明し得るような微生物や他の生物は発見されることはない」(宮村定男訳)
2022年7月24日日曜日
メチニコフの『近代医学の建設者』を読む
今日は、最近の日課から離れてみようという気になった
シンコペーションのような感じだろうか
そこで目に入ったのが、メチニコフ(1845-1916)による『近代医学の建設者』(宮村定男訳、岩波書店、1968)
20歳の夏、この本が出た1週間後に手に入れたことになっている
当時の意識を少しだけ感じることができ驚いたが、読んだ形跡はない
時を経て、それを手にするのも悪くないだろう
メチニコフについては『パリ心景』でも取り上げているが、彼自身が「近代免疫学の建設者」のお一人になる
原典は、Trois fondateurs de la médecine moderne: Pasteur, Lister, Koch (Félix Alcan, 1933)
本書は元々、メチニコフの最晩年に当たる1915年にロシア語で発表されたものの仏訳になる
「無智と誠意の欠如」のために勃発した第1次世界大戦の影響下に書かれた様子が、緒言に出てくる
彼はこの中で、近代医学の建設者として、それぞれ面識のあったパスツール(1822-1895)、リスター(1827-1912)、コッホ(1843-1910)を挙げている
本書は、パスツール以前の医学の紹介から始まる
当時の医学は、病気の症状、診断の方法、臓器の変化を研究、そのために肉眼から顕微鏡の使用が始まった
治療法は専ら経験によるものだが、ジェンナー(1749-1823)による天然痘予防のための種痘法は生まれていた
当時の学界に大きな影響力を持っていたのは、ドイツの病理学者フィルヒョウ(1821-1902)の細胞病理学説であった
これは、病気の本体は、生体を構成する細胞の異常によるとするもので、次のように要約している
「あらゆる病気は結局、多数または少数の生命の要素たる細胞の受動的あるいは能動的の障害(すなわち、細胞内容の物理的化学的変化に従う分子構成によって、その活動能力が変わってきた細胞)というものに帰する」
これをメチニコフは、「ほとんど形而上学的ともいえる公式」と形容していて、少しだけニンマリする
この時期、無限に小さな生物が細胞の機能を侵すという仮説も出されていたが、フィルヒョウはそれを否定
それから、クリミア戦争における統計が出てくる
それによると、戦闘による死者に比して病気や戦傷による死者の方が圧倒的に多いこと、大腿骨骨折手術を受けた者は受けなかった者より死亡率が高いことなどが明らかにされる
微生物による感染が示唆されるが当時の医学は無力で、医学の土台から改造しなければならなかったのである
2022年7月23日土曜日
ゲーテの言葉から(29)
2022年7月22日金曜日
ゲーテの言葉から(28)
2022年7月21日木曜日
ゲーテの言葉から(27)、そして山本一清という天文学者
2022年7月20日水曜日
ゲーテの言葉から(26)、そしてパスツール生誕200年記念シンポジウム
2022年7月19日火曜日
根拠のない楽観に身を任せて
2022年7月18日月曜日
ゲーテの言葉から(25)
2022年7月17日日曜日
ヘルベルト・ブロムシュテットという音楽家
2022年7月16日土曜日
ゲーテの言葉から(24)
1829.4.3(金)
「大衆の人気を得るためには、偉大な統治者は、その人に偉大さがありさえすれば、他にどんな手段もいらないのだ。その努力と活動によって、国家が内では繁栄をとげ、外では尊敬を受けるということになれば、ありったけの勲章をぶらさげて、立派な馬車におさまろうが、熊の毛皮にくるまり、口に巻煙草をくわえて、お粗末な貸馬車に乗ろうが、何をしようと国民の愛を獲得し、つねに同じ尊敬を受けている点では全く変わりない。けれども、君主に個人的な偉大さが欠けたり、善政を施いて国民に愛されるすべをわきまえないとすれば、他の統一の手段を考慮せざるをえないのだ。それには、宗教とその儀式をともに楽しみ、ともに行うこと以上にすぐれた効果的な手段は存在しない」
「『ヴェルテル』が出ると、早速イタリア語の翻訳がミラノで出たよ。ところが、じきに初版全部が一冊残らず売り切れてしまった。司教が手を回して、教区にいる聖職者たちに全数を買占めさせたというわけさ。私は腹も立たなかったね、それどころか、『ヴェルテル』がカトリックにとって悪書であるといち早く見抜くような具眼の士のいることを知って嬉しくなり、即座に、もっとも有効な手段をとって、それを極秘裏にこの世から抹殺した点に、感服せざるをえなかったよ」
1829.4.6(月)
「もちろん、彼の人格はずばぬけたものだったよ。けれども、大事なことは、人々が彼を指導者と仰いでいれば、自分たちの目的がかなえられると確信した点にある。だから、彼のものになってしまったのさ。だが、そういった確信をおこさせる人なら、相手えらばすそうするわけさ。俳優たちにしても、いい役につけてくれると信じれば、新しい舞台監督でも、いうことをきくじゃないか。これはお古い話だが、相変わらずむし返されている話だね。人間の本性とは所詮そんな仕組みになっているのだ。誰も、自ら進んで他人に仕える者はいないよ。だが、そうすることが結局自分のためになると知れば、誰だって喜んでそうするものさ。ナポレオン(1769-1821)は、人間を十二分に知りつくしていた。それで、人間のこの弱点を存分に利用することができたのだね」
「私は、彼(フランソワ・ギゾー、1787-1874)の講義を読みつづけているが、相変わらず卓抜なものだな。今年のは、およそ八世紀まで行く。彼は、どんな歴史家のばあいにも、これほどまでに偉大ではなかったと思われるほどの深い読みと透徹した目を備えている。人がとても考え及ばないようなことが、彼の目にとらえられると、重要な事件の根源として、この上なく大きな意義を帯びてくる。たとえば、ある種の宗教上の意見の優勢が、歴史にどんな影響を及ぼし、原罪や恩寵や善行などの教義が、時代時代に応じて、さまざまな形態をとったのはどういう理由によるのかなどという問題がはっきりと解明され、立証されていることがわかる」
「ギゾーは、昔のガリア人が他の民族から受けた影響について述べているが、とくに目についたのは、ドイツ人の影響を論じていることだ。『ゲルマン人は』と彼はいっている、『個人の自由という理念をわれわれにもたらしてくれた。これこそ、何にもまして、この民族に個有のものであった。』この言葉は、まことに立派ではないか? 彼の言うところは、まったく正しいではないか? またこの理念は、今日に至るまで、われわれのあいだに生きていはしないか? 宗教改革も、ヴァルトブルクの学生組合の蜂起も、賢明なことも、愚劣なことも、みなここから起こったのだ。猫も杓子も新生面を開拓しなければならぬと思いこんでいることも、同様に、わが国の学者が隔絶孤立して、自分の立場を守り、その立場から、自分の本領を発揮しているのも、みなそこから来ているのだ。それと反対に、フランス人やイギリス人は、はるかに堅く団結し、たがいに他人を見ならっている。服装や態度にも共通したものがある。彼らは、人目に立ったり、いい笑い者にされたりしないように、他人と違ったことをするのを恐れている。しかし、ドイツ人は、めいめい自分の考えを追い、自分自身を満足させようとする」
(山下肇訳)
2022年7月15日金曜日
ゲーテの言葉から(23)
矢倉英隆先生の『免疫学者のパリ心景』を読み始めた。1つ目の人生は免疫の研究者、2つ目はフランスで哲学者。私は矢倉先生の留学計画をほんの少し手伝った事は大変光栄です。著者は教養や理性が溢れるだけでなく、読者を良く考えて書いた本なので、お薦めです。#YakuraHidetaka pic.twitter.com/TdTh8BTRcl
— Franck MICHELIN (@michelinfranck) July 14, 2022