2022年7月20日水曜日
ゲーテの言葉から(26)、そしてパスツール生誕200年記念シンポジウム
2022年7月19日火曜日
根拠のない楽観に身を任せて
2022年7月18日月曜日
ゲーテの言葉から(25)
2022年7月17日日曜日
ヘルベルト・ブロムシュテットという音楽家
2022年7月16日土曜日
ゲーテの言葉から(24)
1829.4.3(金)
「大衆の人気を得るためには、偉大な統治者は、その人に偉大さがありさえすれば、他にどんな手段もいらないのだ。その努力と活動によって、国家が内では繁栄をとげ、外では尊敬を受けるということになれば、ありったけの勲章をぶらさげて、立派な馬車におさまろうが、熊の毛皮にくるまり、口に巻煙草をくわえて、お粗末な貸馬車に乗ろうが、何をしようと国民の愛を獲得し、つねに同じ尊敬を受けている点では全く変わりない。けれども、君主に個人的な偉大さが欠けたり、善政を施いて国民に愛されるすべをわきまえないとすれば、他の統一の手段を考慮せざるをえないのだ。それには、宗教とその儀式をともに楽しみ、ともに行うこと以上にすぐれた効果的な手段は存在しない」
「『ヴェルテル』が出ると、早速イタリア語の翻訳がミラノで出たよ。ところが、じきに初版全部が一冊残らず売り切れてしまった。司教が手を回して、教区にいる聖職者たちに全数を買占めさせたというわけさ。私は腹も立たなかったね、それどころか、『ヴェルテル』がカトリックにとって悪書であるといち早く見抜くような具眼の士のいることを知って嬉しくなり、即座に、もっとも有効な手段をとって、それを極秘裏にこの世から抹殺した点に、感服せざるをえなかったよ」
1829.4.6(月)
「もちろん、彼の人格はずばぬけたものだったよ。けれども、大事なことは、人々が彼を指導者と仰いでいれば、自分たちの目的がかなえられると確信した点にある。だから、彼のものになってしまったのさ。だが、そういった確信をおこさせる人なら、相手えらばすそうするわけさ。俳優たちにしても、いい役につけてくれると信じれば、新しい舞台監督でも、いうことをきくじゃないか。これはお古い話だが、相変わらずむし返されている話だね。人間の本性とは所詮そんな仕組みになっているのだ。誰も、自ら進んで他人に仕える者はいないよ。だが、そうすることが結局自分のためになると知れば、誰だって喜んでそうするものさ。ナポレオン(1769-1821)は、人間を十二分に知りつくしていた。それで、人間のこの弱点を存分に利用することができたのだね」
「私は、彼(フランソワ・ギゾー、1787-1874)の講義を読みつづけているが、相変わらず卓抜なものだな。今年のは、およそ八世紀まで行く。彼は、どんな歴史家のばあいにも、これほどまでに偉大ではなかったと思われるほどの深い読みと透徹した目を備えている。人がとても考え及ばないようなことが、彼の目にとらえられると、重要な事件の根源として、この上なく大きな意義を帯びてくる。たとえば、ある種の宗教上の意見の優勢が、歴史にどんな影響を及ぼし、原罪や恩寵や善行などの教義が、時代時代に応じて、さまざまな形態をとったのはどういう理由によるのかなどという問題がはっきりと解明され、立証されていることがわかる」
「ギゾーは、昔のガリア人が他の民族から受けた影響について述べているが、とくに目についたのは、ドイツ人の影響を論じていることだ。『ゲルマン人は』と彼はいっている、『個人の自由という理念をわれわれにもたらしてくれた。これこそ、何にもまして、この民族に個有のものであった。』この言葉は、まことに立派ではないか? 彼の言うところは、まったく正しいではないか? またこの理念は、今日に至るまで、われわれのあいだに生きていはしないか? 宗教改革も、ヴァルトブルクの学生組合の蜂起も、賢明なことも、愚劣なことも、みなここから起こったのだ。猫も杓子も新生面を開拓しなければならぬと思いこんでいることも、同様に、わが国の学者が隔絶孤立して、自分の立場を守り、その立場から、自分の本領を発揮しているのも、みなそこから来ているのだ。それと反対に、フランス人やイギリス人は、はるかに堅く団結し、たがいに他人を見ならっている。服装や態度にも共通したものがある。彼らは、人目に立ったり、いい笑い者にされたりしないように、他人と違ったことをするのを恐れている。しかし、ドイツ人は、めいめい自分の考えを追い、自分自身を満足させようとする」
(山下肇訳)
2022年7月15日金曜日
ゲーテの言葉から(23)
矢倉英隆先生の『免疫学者のパリ心景』を読み始めた。1つ目の人生は免疫の研究者、2つ目はフランスで哲学者。私は矢倉先生の留学計画をほんの少し手伝った事は大変光栄です。著者は教養や理性が溢れるだけでなく、読者を良く考えて書いた本なので、お薦めです。#YakuraHidetaka pic.twitter.com/TdTh8BTRcl
— Franck MICHELIN (@michelinfranck) July 14, 2022
2022年7月14日木曜日
ゲーテの言葉から(22)
カレンダーを見ると、今日はフランスの革命記念日になっている
もうかなり遠くに行ってしまったという印象が拭えない
さて、ゲーテ(1749-1832)である
1829.2.12(木)
「彼(ラグランジュ、1736-1813)は、じつに善良な人間だった。まさにそれあるが故に偉大だった。なぜなら、善良な人が才能に恵まれると、かならず世の中の救済のために道徳的な影響を及ぼすにちがいないからね。芸術家だろうが、自然研究者だろうが、詩人だろうが、あるいはどんな道を進もうが、そのことに変わりはない」
「厳格なもの、偉大なものとは、どういうことかをイタリアで学んだ」
「およそ偉大なものや聡明なものは、この世の中に少数しか存在しないのだ。国民にも国王にも反対されながら、自分の偉大な計画を孤立無援で貫徹した大臣たちがいた。理性がポピュラーなものになるとは、とても考えられないことだ。情熱や感情なら、ポピュラーになるかもしれないが、理性は、いつの世になってもすぐれた個々の人間のものでしかないだろうね」
1829.2.13(金)
「このようにして、ある民族はその英雄を生み、英雄は、汎心みたいに、先頭に立って民族の守護と救済にあたるのだ。同じように、フランス人の詩的な能力はヴォルテール(1694-1778)に集約されたのだよ。こういう民族の旗頭は、彼らが活躍する時代においては、偉大だ。後世まで、影響をあたえる人物もいるにはいるが、大部分は、他の頭にとってかわられ、次の時代には忘れられてしまうのさ」
「私にしても、もし自然科学で苦労しなかったら、あるがままの人間を知らずに終わったにちがいない。他のことはどれをとっても、あんなに純粋な直観や思考ができる筈がないし、感覚や悟性の誤謬とか、性格の弱さ強さなどを見つけ出すこともできないよ。つまりすべてのものは、多かれ少なかれ、屈折しており、揺れ動いており、多かれ少なかれ、人の意のままになるものだ。しかし、自然は、けっして冗談というものを理解してくれない。自然は、つねに真実であり、つねにまじめであり、つねに厳しいものだ。自然はつねに正しく、もし過失や誤謬がありとすれば、犯人は人間だ。自然は、生半可な人間を軽蔑し、ただ、力の充実した者、真実で純粋な者だけに服従して、秘密を打ち明ける」
「悟性は、結局、自然には到達できないのだ。神性に触れるためには、人間は自分を最高の理性にまで高めるだけの力がなければだめだ。神性は、自然と人倫の根源現象の中に顕われている。神性は根源現象の背後にひそんでいる。もともとそれは神性から出発しているのだ」
「しかし、神性は、生きているものの中に働いており、死んだものの中には働かないのだ。生成し変化するものの中にはあるが、生成の終わったもの、固まってしまったもの、の中にはない。だから、神性へ向かう傾向のある理性は、もっぱら生成しつつあるもの、生きているものだけを相手にする。悟性は、生成の終わったもの、固まってしまったものを相手にし、利用しようとするのだ」
「したがって鉱物学は、悟性のための学問、実生活のための学問といえる。つまり、その対象はもはや生成を止めた死んだものであって、そこでは綜合(ジンテーゼ)は考えられないからね。・・・われわれは仮説という想像の島々に向かって舟を漕ぎだすが、おそらく真の綜合は、おそらくいつまでも未知の大陸に留まるだろう。植物や色彩のようにきわめて単純な事態においてすら、何らかの綜合に到達するということが、どんなに難しかったかを想起すれば、それも別段不思議でもなんでもないのだよ」
(山下肇訳)
2022年7月13日水曜日
ゲーテの言葉から(21)
アドリアン・ファン・オスターデという画家(2009.5.21)
2022年7月12日火曜日
ゲーテの言葉から(20)
2022年7月11日月曜日
第7回サイファイ・フォーラムFPSSのご案内
2022年7月10日日曜日
ゲーテの言葉から(19)
2022年7月9日土曜日
ゲーテの言葉から(18)
2022年7月8日金曜日
ゲーテの言葉から(17)
熊田千佳慕(1911-2009)
「私は虫である」 JE SUIS UN INSECTE(2006.11.16)
その後、一時帰国した時の記事も見つかった
立ち読みで熊田千佳慕さん(2010.8.12)
ほんのりした気持ちになってからアトリエへ
今日もゲーテを読みたい
1827.7.15(日)
「フランス人たちはどうも事実にとらわれすぎて、観念的なものを思いえがくことが不得手だ。ところが、ドイツ人の方は、観念的なものを自家薬籠中のものにしている。インドのカースト制度について、この人(ハインリヒ・レオ、1799-1878)はきわめてすぐれた見解を有している。貴族主義と民主主義の話をいつもよく聞かされるが、ことはきわめて簡単だ。つまり、若い頃は、われわれは何も所有していないか、所有というものの安らぎの有難味がわからないので、民主主義者となる。ところが、人生を長く生きているうちに、財産がたまると、これを守りたいと願うだけでなく、子供や子孫にも自分の手に入れたものをのんびりと享受させてやりたいとも願うのだ。したがって、たとえ若い頃に他のいろんな思想にかぶれていても、年をとると、いつも例外なく貴族主義者になる。レオはこの点について聡明に語っている」
「たしかに美学の分野において、わが国はもっともおくれているようだ。だから、われわれの中から、カーライル(1795-1881)のような人物が登場してくるには、仮すに時をもってしなければなるまい。しかし、現在では、フランス人やイギリス人、ドイツ人の間で親しく交渉することで、おたがいに補正しあえるようになってきているのは、まことに好ましいことだ。これは世界文学にとっては大きな利点となり、この利点はますます現れてくるだろうね。カーライルはシラー(1759-1805)の伝記を書き、全体として、まずドイツ人にはちょっとまねできないような批評を下している。ところが、われわれも、シェークスピア(1564-1616)やバイロン(1788-1824)に通暁し、その業績をおそらくイギリス人自身より見事に評価できるだろうよ」
1827.7.21(土)
「このような不安を、マンゾーニ(1785-1873)は駆使して、しかもすばらしい成功をおさめている。つまり、彼は不安をときほぐして感激に変え、感激によってわれわれを驚歓させるにいたるからだ。不安という感情は元素のようなもので、読者ひとりひとりの胸に生じるだろう。しかし、驚歓は、作者がその場面場面でいかに見事に腕をふるっているか、を理解してはじめて生じてくるものであり、したがって、目ききの人だけが、これを感じとる能力にめぐまれているわけだね」
「フランス人は、われわれほどには純粋に愛着を感じながら作品を受け入れるようなことはめったにない。彼らは著者の立場に立って考えることがおっくうなのだし、どんなすぐれた作品に対してさえも、彼らの心にそぐわないところ、著者がもっと違ったように書いてもよさそうなところを見つけ出すのが、いつもうまいというわけさ」
「四つのことがマンゾーニに有利に働いて、彼の作品をじつにすぐれたものにすることに役立っている。第一に、彼が卓越した歴史家であり、そのため、彼の文学は大きな威厳と説得力にめぐまれ、それが、通常小説ときいてすぐ思い浮かべるようなもののすべてから、彼の文学を一頭地を抜いたものにしている、ということだ。第二に、かれがカトリックであることが有利に働いており、もしプロテスタントであったら、得られなかったろうと思われるような詩的な状況がいろいろと生じている。同様に第三として、著者が革命の軋轢にひどく悩まされたことが、彼の作品に役立っている。彼自身はその渦中にまきこまれなかったにせよ、彼の友人たちはそれに出くわし、そのうちのある者はとうとう身を滅ぼしてしまったのだ。そして最後に、第四にだが、この小説に幸いしたのは、これがコモ湖畔の魅力的な地方を舞台に展開されており、しかもこの地方の印象は、若い頃から詩人の心ふかく刻みこまれているので、この地方をすみずみまで知りつくしていることだ」
(山下肇訳)














