2020年3月28日土曜日
現象学とは(2)
確かに、現象学の中には違いはあるが、共通の特徴もいくつかある
以下に列記したい
1)現象学者は、ある種の純朴さに特徴付けられる自然な態度が存在すると考える
なぜなら、この態度を採ることによって、我々を取り巻く現実の中で我々が存在する意味があると信じるからだ
しかし、我々は意識と志向性を具えている
従って、「もの・こと」は対象化し、我々の意識によって構成されたものとして存在する
それは受動的に我々に与えられるのではなく、我々が意識を働かせることにより現実に意味を与えるのである
これがフランツ・ブレンターノの提唱した志向性という概念である
2)このように、哲学はある種の現象学的転換を行わなければならない
方向性を完全に変えることにより、現象学に移行する
「もの・こと」に向かう代わりに、我々にとって、主体にとってのその意味を分析するのである
そして、実証科学に現れる客観的な意味の領域から離れ、 主観的に生きる中で直に経験する意味に向かうのである
それは「現象学的エポケー(判断停止)」、すなわち「現象学的還元」(注参照)に戻ることである
そして現象学者は、その正確な性質と様相を議論するのである
3)フッサールにとっての志向性は、本来世界に在るものではなく意図的に構成された現象や意識の行為の特徴である
このように志向性は、意識が「もの・こと」と結ぶ関係、志向性がデータとして「もの・こと」を示す関係を指している
ハイデッガーや一般的な実存主義者にとっては、志向性を示すのは人間そのものの実在である
4)フッサールに感化された現象学者にとっての主要な哲学的問いは、意味の問題である
一方、ハイデッガーに霊感を受けた者にとっては、存在者の実存の問題になる
いずれの場合も、その主要な役割は主観性に帰せられなければならない
フッサールの場合は世界を構成する存在者として、ハイデッガーの場合は存在者の実存を問う存在者として
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「現象学的還元」について
狭義には「超越論的還元」を指し、広義には「形相的還元」をも含めたものをいう
我々は自然的態度では世界の超越的存在の定立を日常暗黙のうちに認めている
フッサールはこれでは厳密な学問的認識が不可能であるとして、自然的態度を徹底的に反省する
反省の眼差しを自分自身の意識作用そのものへ向けるのである
自然命題を「かっこに入れる」(エポケ―=判断停止)この操作を「超越論的還元」と言った
それにより、実証主義的方法では行き詰まっていた人間諸科学のうちに「意味」のカテゴリーを回復しようとした
世界の存在意味は主観性の内に求められなければならない
そのため、純粋意識の事実から純粋意識の本質への還元を「形相的還元」として「超越論的還元」と区別した
(つづく)
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