暫くご無沙汰していたが、信頼性主義について続けることにしたい
信頼性主義(3)
少しでも信念が信頼性ある認識過程に由来するとすれば、S の信念は正当化されると言うのは不十分である
なぜなら、S はこの信念を正当な理由で弱める可能性があるものを考慮しなければならないからである
もし S が5歳の時に赤い自転車を持っていたことを思い出すとすると、彼の信念においてはそのことが正当化される
それを信じることを妨げる信頼性ある過程があれば別であるが
例えば、S は子供時代の記憶の信頼性を疑う心理学者(そして大部分の人間)の証言を無視すべきではない
従って、次のようなフォルミュール(ゴールドマンを改変)に辿り着くだろう
S の p に関する信念が正当化されるのは、次の二つの条件が満たされた時だけである。(1)それが信頼性ある認知過程によって生まれたものである場合、そして(2)S の信念が形成された過程の他に、それに従ったとしても S が p を信じることにはならないような信頼性ある、あるいは条件付きで信頼性ある過程がない場合。このように、信頼性主義の単純さ(我々の信念は信頼性ある過程によって正当化されるとする)は幾分失われる
ゴールドマンはこのフォルミュールに問題がないわけではないことを認めている
本質的なことは、知識の定義から認識論的正当化の条件を作るのは止めるというのが妥当だということである
信頼性主義は、知識であるべきもののアプリオリの基準を提案するのではなく、知識の事実から出発する
知識の形成のされ方を記述し、それに影響を与える枠を明確にしようとするのである
(つづく)
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