2020年3月23日月曜日

徳認識論と信念倫理(5)



最近の新たな方向付けについて懐疑的になるかもしれないが、エピステモロジーはこの領域の我々の期待を再定義する
ここまでのエピステモロジーは、知識、理性、正当化、認識論的規範の理論を提示することを狙っていた
ドイツ語で言えば、「知の理論」はカントの精神を持つ Wissenschaftslehre となるだろう
それは、常に多くの哲学者にとっての知の哲学である

しかし、新しい概念においてはアリストテレスの影響がある
ただ、アリストテレスのテクストを厳密に参照するというよりは、いくつかの考えを参考にすることである
それは、徳の重要性、それから理性、知識の実践における自己の完成や人間性の充実した発育の重要性である

つまり、エピステモロジーは認識論的価値を持つ知的態度を記述することである
なぜなら、エピステモロジーは我々の知的成熟や完全な理性の実現を促進する可能性があるからである
もし人間を理性的動物であると定義すると、理性的能力の完全な成熟は人間性の実現を意味している

なぜ我々は知るようにしなければならないのか、なぜ真理を欲しなければならないのかという問いが主要になる
換言すれば、重要なことは価値としての知識と理解である
重要な概念となるのは、認知に関する範疇としての、そして理解の仕方としての感情である
これは「知の理論」の枠組みの中では想像できなかったことだろう

ある意味で、これは知識の哲学に切り込んでいた多くのポストモダンの哲学者が興味を持った問題である
しかし、ポストモダン哲学者には次のような傾向があった
それは、知る意欲や真理の欲求を我々の形而上学的錯覚の徴、そして支配や権力欲の表れと捉える傾向である

徳認識論においては、全く逆である
認識論的徳とは、我々の性質の完全な成熟、認知的と同時に道徳的な我々の完成に不可欠な条件である
この意味で、エピステモロジーと人間性の形而上学は相互浸透するのである
それはまた、形而上学の現代におけるルネサンスが取っている形態の一つでもある









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