メタフィジックスにある「メタ」の技術的な意味から、中身に関して考えられている意味への切り替え
a)後(post)という「メタ」の技術的な意味
紀元前300年から紀元前1世紀という古代哲学の凋落の世紀の間、アリストテレスの著作は殆ど忘れ去られていた
まず彼自身、殆ど出版していなかった
残されたものは、原稿、講義の草稿、講義の筆記録などであった
これらの材料をどうするのか、アリストテレス哲学を学校でも使えるようにしたいと考える人たちがいた
そこで彼らが直面したのは、アリストテレスが書き残した全体を搔き集めて整理することであった
そこでごく自然だったのは、当時あった3つの見方、すなわち論理学、自然学、倫理学に則って分類することであった
しかし、彼の著作の中にはこれらに当て嵌まらない存在一般、存在が在るところのものに関する「哲学することそのこと」が含まれていた
整理する人はこれらをどこに入れるのか分からなからず戸惑いが生まれたが、それを除くことは最も避けたいことであった
そこで生まれる問題は、学校は3つの学科をどうするのかを決める立場にないので、どうするのかということであった
この状況について明確にしなければならないことがある
それは、哲学において本質的なことは、収めることができないということである
学校の哲学は、哲学することに直面して困惑したのである
この困惑から抜け出す方法が唯一つ残されている
「哲学することそのこと」が学校では当たり前になっていることと関連がないのかどうかを検討することである
そうすると、両者は確かに関連している
アリストテレスが「第一哲学」で扱った問題と学校の哲学が「自然学」の中で論じたことの間に関連性がある
勿論「第一哲学」での議論は、より広くより根源的ではあるのだが、、
従って、「第一哲学」を物理学の中に分類することはできないが、唯一可能なのは自然学と「並行して」、「背後に」、「後に」置くことである
「背後に」、「後に」のギリシア語が「メタ」で、哲学することそのことが自然学の後ろに置かれて「メタ・タ・ピュシカ」となり、そのタイトルが『タ・メタ・タ・ピュシカ』となったのである
ここで重要なことは、この名称はその内容や問題点によるものではないということである
我々がメタフィジックス(形而上学)と呼ぶものは困惑のタイトルであり、何をしてよいのか困ったところから生まれた純粋に技術的な表現だったのである
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