2022年2月13日日曜日

ハイデッガーの形而上学(7)



















哲学は一人の人間の特権などではなく、誰にでも関わるものである

であるとすれば、誰にでも関わるものは誰にでも理解されるものでなければならない

その意味は、何の努力もなしに、そのままで直ちに明らかなものである


哲学は究極の何かである

それは誰でもが持たなければならず、持つことができる何かである

最高のものは最も確かなものである

誰でもが最も高度で、最も厳密で、最も確実な知を知っている

哲学的なカリスマを否定することが難しいプラトンのアカデミアの入口には、幾何学、数学の知識のない者は入るべからずとあった

近代哲学の道筋をつけたデカルトは、数学的真理の特徴を持った哲学的真理を導き出す以外に何も求めなかったのではなかったか

ライプニッツは「数学者なしに我々は形而上学の基本に到達できない」と言ったとされる

これが哲学における絶対的真理と言われるものである

しかしこの試みは決して成功して来なかった

アリストテレス、デカルト、ライプニッツ、ヘーゲルなどの思想家は、博士候補の論駁に我慢してきた

これらの歴史はあまりにも大きな打撃なので、最早認識されないようになっている


ところで、数学的知識を知識の基準、あるいは哲学的真理の理想とすることは何を意味しているのか

それは、最も中身のない、人間的要素を要求しない知識を、全体を扱う最も豊かな知である哲学の基準にするということである

例えば17歳の少年が重大な数学的発見をするということが、数学知が人間的な中身を要求していないことを示している

このようなことは哲学では起こらない

つまり、人間的要素を要求しない最も中身のない数学知をその逆の性質を持つ哲学の基準にすることがあり得ないことだったのである






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