a)形而上学の伝統的概念の矮小化:より高いものであるが手元にある存在としての形而上学的なもの(神、不滅の魂)
形而上学の伝統的な概念は矮小化されている
今日、「形而上学」とか「形而上学的」という言葉が使われる時はいつも、何か深く、神秘的で、直接は近づけない、日常的なものの背後にあり、究極の領域にあるものという印象を伝えるためである
普通の経験を超えたものという時は、超感覚的なものを指している
神智学やオカルトなどはそれと関係している
形而上学の復活などと言われるのはこのようなもので、キリスト教のドグマと関連している
それは古代哲学に由来し、順序の問題ではなく、内容の解釈に関連する形而上学である
キリスト教が関心を持つこの世界を超えるものは、神と不死である
それが形而上学そのものになるのである
近代哲学の始めから、デカルトが『省察』の中で言ったように、神の存在と魂の永遠の証拠を見つけることが第一哲学の目的だったのである
アリストテレスにおいては、第一哲学を存在そのものに関する問いと存在の本質に関する問いの2つに分けた
それは全体としての存在に関する問いであり、究極、最高のものに関する問いに戻っていった
アリストテレスはこれを「テオス」に関する「ロゴス」=神学(テオロギー)とした
このテオスは創造主や人格を持つものではなく、神的なものである
このように、アリストテレスにおいては形而上学と神学は結び付いていた
日常的な意味における形而上学的なもの、超感覚的なものは神学的知とされるものになったのである
それは信仰の神学ではなく、理性の神学であった
形而上学が科学などの他の存在に関する知と同じレベルに入ってきた
「メタ」は特別な思考の方向性を指すものではなく、単に他のものの後、上にあることを意味するようになった
形而上学が独自に立つという基本的な方向性が消え、日常的な知の中に矮小化されることになった
one of them になったのである
しかし、これは「メタ」の完全な誤解である
形而上学的なものをある存在として理解する時、形而上学という概念の矮小化と浅薄さに出会うことになる
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