アリストテレスにおけるピュシスの2つの意味
「全体としての存在」に関する問いと「存在の本質」に関する問い
哲学する中から個別の哲学=後に科学と言うようになるものが育つ
科学とは哲学するやり方であるが、その逆ではない
哲学は科学ではないのである
ギリシアの科学に当たる言葉はエピステメで、それは「もの・こと」の前に立つこと、そのことの中で自分に位置が分かること、それをコントロールしていること、その内容を見通すことである
アリストテレスにおいてのみ、この言葉が広い意味での「科学」の決定的な意味を持っている
すなわち、諸科学における理論的探索という意味である
古代ギリシアにおける「ピュシカ」は現代のフィジックス(物理学)の狭い意味はなく、生物学における諸科学も含んでいた
それは異なる領域の事実を単に集めるのではなく、その領域全体の内的な法則性について省察することであった
生命とは何か、魂とは、出現するものと消滅するものとは、運動、時間とは何かについて問うことであった
そこにはまだ科学としての構造が出来上がっていなかった
全体としての存在に関する問い、究極の問いは神に関するものであった
ピュシスの第2の意味である本質に関するものはどうであろうか
古代ギリシアでは、存在は「オン」と呼ばれ、存在を存在たらしめるのが存在の本質である
アリストテレスは、全体としての存在について問うことと存在の本質を問うことを「第一哲学」とした
それはピュシスについて問うことであった
ただ、アリストテレスはこの2つの方向性がどのように融合されるのかについては何も語っていないし、今日まで誰も問い掛けていない
纏めると、ピュシスには、存在しているもので物理学が解析できるものと、存在の本質という2つの意味があり、この2つを融合して第一哲学(prima philosophia)としたのがアリストテレスだった
存在の根本的な特徴は運動であり、それは最初に運動を起こしたものが問題になる
それは、特定の宗教には関係なく、神的な存在になる
これがアリストテレスの哲学が立っているところである
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今日のお話は非常に示唆的であった
第一哲学がピュシスの2つの意味についての問いを1つにしたものだという認識はなかった
1つは科学で分析できるもので、もう1つは科学で分析できない本質に関するもの
これまで、この中の後者が第一哲学だと思っていたのである
この視点から見ると、わたしはアリストテレスの言う本来の第一哲学をやりたいと思ったということになる
つまり、科学者時代には前者をやり、フランスに渡ってからは後者について問い掛けていたからである
前者だけでは何か重要なものが欠けていると思ったのであった
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