b)内容に関する「メタ」の意味:「を超えて」(trans)
超感覚の科学.スコラ学としての形而上学
このように、長い間『タ・メタ・タ・ピュシカ』は技術的なタイトルであった
それが、いつ、誰によって、どのように行われたのかは分からないが、ラテン語の「メタフィジカ」という一つの言葉に圧縮されることになった
すでに見たように、ギリシア語の「メタ」には「後ろ」という意味があるが、「何かから離れて別のものに向かう」という意味もある
「メタフィジカ」という言葉になることによって、「メタ」は意味を変えた
自然学の後に来るという意味ではなく、「ピュシカ」から離れ、別のもの――存在一般、あるいは適切に存在するもの――に向かうものは何でも扱う学となったのである
1つの領域としての自然から哲学そのものが離れたことは、個別の存在を超えて他の存在に向かうことである
形而上学は感覚を超えた知識、超感覚の科学と知識となった
ギリシア語の「メタ」はラテン語では後ろを意味する post だが、trans (超えて)という第2の意味もあることからも理解できるだろう
技術的な意味から内容に関する意味に変わったのである
これをスコラ哲学に分類したことが、哲学そのものを形而上学とするという解釈の原因になった
このような変化は決してどうでもいいことでも害がなかったとも言えないことに十分な注意が払われていない
西洋における哲学そのものの運命がこのことにより決定されたのである
哲学そのものが前もって第2の意味におけるメタフィジックスとされることは、特定の方向性や特定のアプローチに強制される
そこから同様の言葉の使われ方が生まれた
例えば、「メタ論理」、ユークリッド幾何学を超えた「メタ幾何学」、哲学体系に基づく政治を実践する「メタ政治家」、アスピリンの効果を超える「メタ・アスピリン」などという話まで出ている・・・・・<現代では、「メタ」と名乗る企業まで現れている>
技術的意味から内容による意味への変化、そしてそれがどのようにして他のスコラ学と同列に分類されたのかを記憶しておくことは重要である
それについて多くのことを言うことができるが、形而上学の生きた問題からそれを理解するのでなければ不毛である
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