17.気分の暫定的な特徴付け:ダーザインの基本的な在り方としての気分、ダーザインに生きる糧と可能性を与えるものとしての気分.ダーザインとしてのダーザインを把握するものとしての気分の呼び覚まし
我々が共にいる人間が悲しみに打ちひしがれている
これは、この人が我々は共有していない生きた経験の状態にあるが、他のすべては以前のままということだろうか
そうでなければ、ここで何が起こっているのか
悲しみに打ちひしがれている人は自らを閉じ、我々に敵意を示しているわけではないが、近づき難くなる
しかし我々は、以前と同じように彼とともに在り、ひょっとすると彼を以前より受け入れるようになっているかもしれない
彼の方も態度を変えない
すべては以前のままであると同時に、すべてが違っている
我々が共にいるあり方が違うのである
このような気分においてこの人間が近づき難くなるということは何を意味しているのか
我々が彼といるあり方が変わったのである
お互いにいる我々の存在(我々のダーザインがそこに在ること)が違い、その気分が変化したのである
この状況を詳しく見れば、気分は内(他者の魂の中)に在るものでも我々の魂の中でどこかに共にあるものでも全くないことが見えてくる
そうではなく、気分がすべてに押し付けてくるのである
一体気分はどこに、どのようにあるのだろうか
気分とは魂の中に表れる何かではなく、我々がお互いにそこに在るあり方なのである
ここで、他の可能性について考えてみよう
上機嫌の人間は生き生きとして雰囲気をもたらす
細菌がヒトの間を行ったり来たりするように、感情の経験を他の人に伝えているのだろうか
確かに、気分には伝染性がある
また、別の人間はすべてを憂鬱にし、全てに水を差す
これは何を語っているのか
気分は副作用などではなく、我々がお互いに存在するあり方を予め決めている何かである
気分はそれぞれの場合にすでにそこに在るかのようなものである
そう見えるのではなく、そうなのである
この事実に直面すると、感情や経験や意識の心理学を無視しなければならない
それは、ここで起こっていることを「見て、言う」という問題なのである
気分は存在――ダーザイン(そこに在るもの)――の基本的なあり方なのである
ダーザインのそこに在るあり方であり、それは離れて在ることである
気分は単なる形ではなく、あり方なのである
つまり、気分は特定の存在ではないという第一のネガティブな考えに対するポジティブな表現を我々は持っている
それは、気分はダーザインとしてダーザインが在る基本的なあり方ということである
それから、気分は不安定で儚い単なる主観的な何かではないという第二のネガティブな考えについても対抗する考えがある
気分はダーザインのまさに基盤において生きる糧と可能性を与えるということである
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