18. この基本となる気分を呼び覚ます前提として、我々の同時代の状況とそこに広がる基本となる気分を確認する
b)我々の同時代の状況の4つの解釈の源泉としてのニーチェのディオニュソス的なものとアポロ的なものの基本的な対立
ここではニーチェが考えていた詳細に入るのではなく、今問題になっていることを知るために必要な程度に止めて特徴付けを行いたい
ディオニュソス/アポロの対立は早くから維持され、ニーチェの哲学を導いている
それは彼自身が知っていた
古代に取られたこの対立は、文献学と手を切ろうと思っていた若き古典的な文献学者に必然的に現れたのである
しかし、この対立が彼の哲学の中に維持されてはいたが、哲学する中で変容していったことも知っていた
ニーチェは「自分自身を変容される者だけがわたしに関係する」ことを知っていた
完成には至らなかった彼の主著で決定的な作品『権力への意志』の中で行った最終的な解釈を引いてみたい
第四書の第二セクションのタイトルは「ディオニュソス」となっている
ここに一風変わったアフォリズムがあり、全体には本質的な思想、要請、評価が集められている
ニーチェが亡くなる直前に、この対立が早い時期から彼にとって決定的であったと見ていた証拠を示したい
彼は博士号を取る前の1869年に、24歳で特別教授(Professor Extraordinarius)としてバーゼル大学に呼ばれている
彼はこう書いている(以下、引用はすべて原佑訳による)
一八七六年ごろ、いまやヴァーグナーがどこへ到りつこうとしているのかがわかったとき、私のこれまでの全意欲が危険にさらされているのを見てとって、私はぞっとした。だが私は、深く一致した欲求のあらゆる紐帯によって、感謝によって、掛けがえのないものを失い、絶対的な窮乏しかのこらないという私の見とおしによって、彼ときわめて固く結びついていた。
ちょうどそのころ私には、私が文献学と教職とにがんじがらめに縛られていると思われた――私の生涯の一つの偶然や応急策に――。私はもはやどうして逃れでたらよいかも知らず、疲れはて、精魂もつきはてた。
ちょうどそのころ私には、私の本能はショーペンハウアーのそれとは反対のことをめざしているということがわかった。すなわち、生が、最も恐るべき、最も曖昧な、最も欺瞞的なものであるときですら、その生を是認することをめざしているということが、――そのために私は「ディオニュソス的」という定式を手中にしたのである。
後の方には、こうある
アポロンの迷妄とは、美しい形式の永遠性のことにほかならない。「つねにかくあるべし」という貴族主義的立法のことである。
ディオニュソスとは、官能性と残酷性のことにほかならない。 移ろいやすさは、生産し破壊する力の享楽であると、不断の創造であると、解釈されうるかもしれない。
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