昨日、寝る前にテレビを付けたところ、福島関連の番組が流れていた
暫くすると、そこから聞こえてくる言葉が重く、しっかりしていることに驚いた
普段テレビからは聞こえてこない重さだったからだ
それは、長く深い思索から紡ぎ出されていることを想像させるものであった
体と言葉が完全に一体になっているのである
こういうことも言っていた
「真剣に考えなければならない問題を真剣に考えていないのが日本だ」
確かに、重要な問題を真剣に考えている場面に遭遇することは非常に少ない
解説によれば、46歳の時、広告会社を経営していたが心の空虚さを埋めることができず、会社をたたみ田舎に向かったようだ
ご本人のウィキペディア記事はこちら
番組は「揺れながら 迷いながら 〜民俗研究家・結城登美雄が見た三陸〜」であった
本当に久しぶりに山根基世さんの語りを耳にすることができた
結城さんが語るのを聴きながら思い出したことがある
それは、ベルクソンが言っていた対象に迫るための2つの方法である
1つは対象の周りから調べるもので、科学がやる分析に当たるものだが、これでは本質には辿り着かない
もう1つは、共感をもって対象の中に入るもので、こちらは記号を使わないので一気に本質に辿り着ける
実はこれまで、前者は分かるが、後者が一体どういうものなのかはよく分からなかった
こういうことを言うから、科学者からは信用されないのだ、などと考えたこともあった
しかし、結城さんのアプローチこそ対象の中に入るやり方ではないのかと思い当たったのだ
これからの歩みにとって示唆に富む出遭いとなった
発見はいつも偶然が齎してくれる
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