2022年3月18日金曜日

ハイデッガーの形而上学(34)
































18. この基本となる気分を呼び覚ます前提として、我々の同時代の状況とそこに広がる基本となる気分を確認する

a)我々の同時代の状況の4つの解釈:オスヴァルト・シュペングラールートヴィヒ・クラーゲスマックス・シェーラーレオポルド・ジーグラーにおける生命(魂)と精神の対立(つづき)



我々の状況の最もよく知られた解釈は、「西欧の没落」というキャッチフレーズで表現されたものである

我々にとって重要なのは、この「予言」の基礎となっているものである

フォルミュールに還元するとすれば、精神における、そして精神を貫いている生命の衰退である

特に、理性(ratio)としての精神がテクノロジーや経済や世界貿易や都市によって象徴される存在の再構成において作り上げたものが、今や魂や生命に敵対し、圧倒し、文化を衰退と退廃へと強いている


第二の解釈も同じ方向に進むが、魂(生命)と精神の関係が異なって捉えられている

これは精神を介する文化の没落という予言には落ち着かず、精神を拒否するところに行く

精神は魂に敵対すると見られる

魂を解放するために、精神は祓い清めなければならない病気なのである

つまり、精神から自由になるということは、生命に還ろうということなのである

しかしここで言う生命は、今にも爆発しそうな衝動のようなもの、神秘的なものが育つ基盤として捉えられている

これはルートヴィヒ・クラーゲスによって表明された見方で、主にバッハオーフェン、とりわけニーチェによって決定されたものである


第三の解釈も上の2つの次元に留まるものだが、生命における精神の衰退を認めたり、精神に対する生命の闘いを擁護したりするものではない

その代わり、生命と精神のバランスを見出そうとすることをその責務とした

これはマックス・シェーラーの最後の段階の哲学に代表される

レッシング・カレッジにおける講義「バランスの時代の人間」に明確に表れている


第四の解釈は、基本的に第三の解釈の影響下にあり、同時に第一・第二の解釈を含んでいる

比較すれば、これが最もオリジナリティを欠き、哲学的にも最も脆弱である

この解釈は、レオポルド・ジーグラーの『ヨーロッパ精神』に代表される


これは今日知られ、部分的にはすでに忘れられていることを類型化して纏めたものに過ぎない

我々に関わる基本的なことはこれらの解釈の根本的な特徴で、それは生命と精神の関係になるだろう


生命と精神という言葉を人間の2つの構成要素(魂=生命、精神)を指すと理解するのは誤解である

これは人間の基本的な2つの方向性に関するものである

そう理解すれば、ここで問題になっていることが両者の関係の理論的解説でなく、ニーチェがディオニュソス的とアポロ的という言葉で意味したものであることがよく見えてくる

4つの解釈が共通の源泉ニーチェに行き着くのである

全ての解釈はニーチェの哲学の特定の受容によってのみ可能になる

これは、これらの解釈の独創性を問うものではなく、単に対立が起こるはずの場所と源泉を示すためのものである








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