トマス・アクィナスにおける形而上学の概念:伝統的な形而上学の概念の3つの特徴に関する歴史的証拠(つづき)
アクィナスは形而上学の伝統的概念にある3つの意味を纏め、統一された科学(scientia regulatrix)とした
その結果、第一哲学は第一原因、存在一般についての形而上学、神とともにある神学の3つを扱うことができるようになった
そこに内在する問題についてはもう触れないが、それがここでは問われることなく体系化され、一つは信仰によって決められるものである
つまり、このような曖昧さの中にある形而上学という概念は、それ自体の問題に向かうのではなく、「超える」ことに関する別々の決定が一つに纏められたのである
さらに進む前に、もう一度お浚いをしておきたい
形而上学の曖昧さはプラトンやアリストテレスにおいて生まれた第一哲学という概念の中にすでに見られる
アリストテレスは、哲学すること自体を二つの方向に導いた
1つは存在そのものについての問いで、もう1つはそれぞれの存在に関する統一、多数性、対立などについての問いである
アリストテレスはこの問題に気付いていなかった
問題は中世の神学に顕著に見ることができる
正式の範疇に関する問いは、神の問題以外の何かである
そこで矛盾が生じないのは、問いが物質的なものではなく非感覚的であるものについての知である場合だけに限られる
平等の正式な概念は抽象的であり、そこでは感覚的なものは無視される
神は抽象的ではないどころか最も具体的なものであるが、物質ではなく純粋の精神である
哲学すること自体に2つの方向性があるという不調和は、中世に激しくなる
それは、アリストテレスの神学がキリスト教の天啓に方向付けられた絶対的人物としての神の意味で理解されたからである
こうして形而上学の中身がキリスト教における神学に方向付けされたのである
つまり、アリストテレスにおける神学は存在一般に関する問いと並んで分類されていたが、そうではなくなったのである
それはカントにおける形而上学が神学として捉えられるところに繋がった
アクィナスの解釈の中では、因果関係における究極なもの、抽象の意味における最も一般的なもの、特定の存在様式の意味における至高の存在に関する知が、普遍という曖昧な概念の中に融合されている
形而上学はすべての存在に共通すること、そして神に関することを扱うことができるとアクィナスは考えた
しかし、両者はいずれも最高のもの、究極のものではあるが、その内的構造は全く異なっていたのである
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