18. この基本となる気分を呼び覚ます前提として、我々の同時代の状況とそこに広がる基本となる気分を確認する
c)文化の哲学が提供する我々の状況の解釈の隠された基本となる気分としての深い退屈(つづき)
いずれにせよ、我々は今立っているところを見るための指標を必要とするだろう
確かに「文化」は我々の魂の表現であり、文化と文化の中の人間の両者は、哲学的にだけ表現や象徴の概念を通して理解される
今日、文化の哲学は表現、象徴、記号的形に関係している
魂と精神としての人間は内的意味を持つ形で表現され、この意味を基にして存在(Dasein)に意味を与える
大雑把に言えば、これが現代の文化の哲学のスキームである
ここでもまた、殆どすべては本質に至るまで正しい
ただ、我々は新たに問わなければならない
人間のこの見方は本質的なものだろうか
これらの解釈――それは文化の哲学による文化における人間の分類からはかけ離れているのだが――では何が起こっているのか
人間はこのようにその人が成し遂げたものの表現として提示される
ただ、問題は残る
このように人間を提示することは、「その人の Dasein に関わり捉えることになる」のかという問いである
このように表現することに向けて提示することは、事実として人間の本質を逃すだけでなく、全ての美学に関わらず必然的に本質を逃すはずである
すなわち、そのような哲学は単に人間を提示するだけで、その Dasein に達することはない
なぜなら、それは本来的に Dasein への道を阻害するからである
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