18. この基本となる気分を呼び覚ます前提として、我々の同時代の状況とそこに広がる基本となる気分を確認する
c)文化の哲学が提供する我々の状況の解釈の隠された基本となる気分としての深い退屈
これらすべての問題は我々にとって二次的である
我々はこれらの解釈が正しいのか正しくないのかさえ問うていない
しかし、それを言うことは重要である
これらの解釈で何が起こっているのか
それは、前述の生命と精神という範疇の助けを借りた文化の診断であると我々は主張している
我々自身は全く気に掛けていないし、我々がどこにいるのかという世界史的な決定に影響を受けることなどない
反対に、全体の出来事がセンセーショナルなもので、常に認められていないことを意味している
文化的な診断というアプローチは、発展され予測へと再構成されることにより、もっと興味深いものになる
何が来るのか知りたいと思わない人はいるだろうか
文化の世界史的診断と予測は我々に関わらず、我々を攻撃することもない
反対に、我々自身から我々を解き放ち、世界史的状況と役割の中に我々自身を提示するのである
この文化の診断と予測は「文化の哲学」と言われるものの典型的な現れである
この哲学は我々の同時代の状況の中で我々を把握することはなく、せいぜい我々のいない同時代性を見るだけである
それは永遠の昨日以外の何ものでもない
もし、文化の哲学が我々の同時代状況の解釈において我々を把握することもできないのだとすれば、我々の基本となる気分を理解するためにはまず我々の状況を確かめなければならないと考えたことは間違っていたことになる
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