2022年3月11日金曜日

ハイデッガーの形而上学(30)















c)人間存在がそこに在ることとないことに基づく気分がそこに在ることとないこと(つづき)

この問いを追求する前に、我々の講義の務めについて何が言われてきたのかを振り返っておこう

我々が哲学する際の基本となる気分を呼び覚ますという仕事に向き合っている

気分とは、普遍的に有効な方法で直ちに確認できない何かである

気分は確認できないだけではなく、それができたとしても確認すべきではないのである

なぜなら、全ての確認は意識の状態に持って行くことを意味しているからである

気分に関しては、意識させる全ては破壊、変更を意味する一方、気分を呼び覚ます際には我々は気分があるがままにさせることに関心を持つ

呼び覚ますとは気分がそうあるように任せることである

ある意味で、気分はそこに在ってないのである

それはすでに言ったように、石がそこに在るのとないという差ではない

それは完全に逆のことである

それに対して、離れて在るということはそこに在るということの反対ではない

寧ろ、離れて在るすべては、Daseinに関係してそこに在ることが前提になっている

我々は離れて在ることができるために、そこにいなければ(da-sein)ならない

つまり、離れて在ること、あるいは「そこにいていない」ことは奇妙なことで、気分はまだ曖昧なやり方で存在の奇妙な在り方と関係している


気分がそこに在ると言うことは基本的に誤解を招くということについては触れた

なぜなら、その場合、気分を存在する性質のような何かとして捉えているからである

この概念に対して、心理とか伝統的なものの見方で見られるものとしての普通の意見を持ち出した

気分とは、思考とか意志の横に在る感情とするものである

この分類は人間を理性的な存在として見る考え方に基づいて行われている

我々は、まず気分は存在ではないこと、単純に魂の中に表れる何かではないこと

第二に、気分とは最も不安定で儚いものではないこと

我々のネガティブな主張と対比して、ポジティブであるものを示すことが問題になる

我々は気分とその本質を少しだけ我々に近づけなければならないのである





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