2021年8月14日土曜日

コンシュ「懐疑主義と哲学の意味」(6)

































最早、哲学するとは単に議論することではなく、瞑想することである

議論自体は残っているが、それは何も決めることはない

あちら側ではなくこちら側であることを吟味することにより決定に導くのは、瞑想する哲学者の考え抜かれ、練り上げられた選択である

瞑想とは、自分自身に耳を傾ける聴診のようなものである

魂と良心において、本当に信じていることを自問することである

瞑想的省察の結果は単なる選択ではなく、「体験された確信」である

エリック・ヴェイルはヘーゲルの文中にある Gesinnung という言葉をこう訳したのである

哲学において、人間は「少なくとも体験された確信(Gesinnung)に到達しなければならない。それは、カントの100ターレルがポケットに入っていようがいまいが、有限の人生にいようがいまいが同じように超然とさせるものである」とヘーゲルは言った

哲学者であろうがなかろうが、それぞれ意見を持っている

感化されたり、気分や流行などにより変動するものもあれば、長期に亘って持続する性質のものもある

しかし、「魂と良心において」態度を決めるために自分自身に向けた命令の結果としての「体験された確信」は哲学者だけのものである











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