2021年8月7日土曜日

思索の対象が濾過されてきた















フランスから荷物が届いたので、昨日、参照すべき本を探してみた

よくも次から次に出るものだと思いながらの汗だくになりながら

最近では記憶も怪しくなり、背表紙や全体の印象も全く違うことがあるので慎重に確認しながらの作業となった

全体の半分程度をチェックしたが、残念ながらその中には見つからなかった

日を改めてもう半分を調べることになる


ただ、この作業の中で収穫もあった

それは、今の自分にとって必要なものがはっきりしてきたことである

つまり、それ以外は当分の間捨てておいてもよいと思うことができたことである

向こうにいる時には、全体を緩やかにではあるが抱擁するような感じがあった

この1年半の日本生活の影響か、その感覚がなくなっているのを昨日感じた


ここから次のような図が見えてくる

10数年に亘るフランス生活は、この世界にあるものに手当たり次第に触れる時間だった

「手当たり次第」とは言うものの、その時点で自分が反応したものであるのは間違いない

そして、そこを離れた時間の中で、今の自分にとって重要なものが濾過されてきたように見える

実は「今の自分」というのもこれまでの経験の結果作られたものになる

その意味では、すべての接触には意味があったことになる


これから進むべき方向がこれまでより明確になってきたように感じられる週末の朝である






0 件のコメント:

コメントを投稿