2021年8月29日日曜日

コンシュ「懐疑主義と哲学の意味」(19)



















今朝、今年はまだ見ないなぁーと思っていたトンボが群れを成して飛んできた

なぜか嬉しくなる

一体どこから飛んでくるのだろうか

ススキの穂もふわふわになり風になびいている

秋の風情である

さて今日もコンシュさんを読んでいきたい


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安楽死の後は、自殺の問題である

モンテーニュは「最も自発的な死が最も美しい」と言った

まあいいだろう

それはわたしの意見でもある

わたしの気にいる時にこの世から去ることができることは、大したことではない

この場合、わたしの最終的な理由を判断できる者はわたし以外にはいない

死は、検閲官が鋏で切り取るようにではなく、一つの文章を完成させる言葉として突然訪れるのがよい

しかし、道徳的義務が我々の望みを実現する邪魔をすることがしばしばである

おそらく自殺においても当てはまるだろう

わたしはまだ人の役に立つことができるが、もし彼らにとって必要不可欠でなければ、おそらく自殺する道徳的義務を持っている

しかし、わたしが人の役に立つだけではなく、彼らにとって必要不可欠であるのに自殺することは、極めて重大な道徳的誤りである

ただ、このような行動が、血縁や精神的な繋がりを持つ我々に近い人々に、乗り越えることが難しい道徳的苦しみや、失望と生きることに対する自信の喪失を引き起こす可能性がある場合には、我々が他者にとって必要不可欠でないとしても、自殺することは強く躊躇わなければならない

誰かが、間違った論理によるものではあるが、「彼は自殺した。従って、この生は生きる必要がないのだ」と思うことができないようにしなければならないのである









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