わたしは「道徳」について語りながら、基本原理の問題はここでは無視し、単に個々の経験に訴える
『道徳的経験』はフレデリック・ローの著作のタイトルである
彼によれば、行動する前に自分の良心に耳を傾けるだけでは十分でない
良心が言うことを、彼が言うところの「有能な人間」に相談しながら感覚として捉えなければならないという
しかし、「有能」という概念がその人に相応しいかどうかを我々は疑うことができる
道徳的経験は我々が持っている義務の経験で、他者が生きるため、あるいはわたしが言ったように「良く生きる」ために助けに来るかどうかを決めるのは我々ではない
「良く生きる」ということは良く死ぬということも意味し得る
もしわたしを最も必要としている人が希望を失い病床にある場合、誰が何らかの治療に対する熱心さによって、その人の人生が不当に延長されることがないように決めることができるのだろうか
最後の瞬間に最も有効な鎮痛剤が使われるように、誰が要求することができるのか
誰が「装置を外す」ことができるのか
医者なのか
とんでもない
医者が有能なのは、医療においてだけである
原則として、医者は患者が生きるか、生きるのを止める、あるいは死を早めるためにすべきことを知っている
この問題は何らかの能力に属するものではなく、ある教会が強いる強制ではもっとない
それは人間の感情に属するものなのである
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