2021年8月3日火曜日

コンシュ「懐疑主義と哲学の意味」(4)















科学は超自然に関わる問題に決着をつけることはできないが、宇宙的問題について同じことは言えないことに異議が出るかもしれない

世界は時空において有限なのか無限なのか

起源から始まり、もはや無限に開かれたユークリッド空間ではない空間の中で膨張しつつある宇宙

この宇宙はその向こうはなく、閉じている

それは明らかに、純粋理性のカントの最初の二律背反について考えるとすれば、有限主義を支持している

物質は無限に分割できるのか

今日、物質の解析はクウォークで止まっていて、クウォークの分割を可能にする実験は予定されていない

カントの第二の二律背反について考えるとすれば、科学は原子論を支持しているように見える

ここでもそれは有限主義の主張である

そうだとしてみよう

しかし、止まるのを知らないのは科学の進歩による

今日、科学が言うことを我々は知っている

明日は何をいうのだろうか

しかし、科学が今日我々に言うことを不動の真理として受け取ってみよう

宇宙や物質について科学が提供するイメージは、データから構築したイメージである

しかし、与えられたものは決して全体としての自然ではない

従って、科学による世界のイメージと、パスカルの言葉を再び使うとすれば、「その高く満ちみちた威容の内にある全自然」との間には必然的な不釣り合いがある

それは、科学が哲学者に考えさせる何かを持っていないということではない

現時点では、人間の性質について齎す新しい光によって哲学者を思考させる何かを持っているバイオテクノロジーの発見がそうである

クローン化は、いかなる心理学者も敢えて思い描くことがなかったであろう人間の解析を可能にするだろう

わたしのクローンになるもの、それが考えること、どのように行動するのかを見ることにより、本質的にわたしのものであるもの、わたしの遺伝形質ではなく、意志と自由に属するものを知ることになるだろう

モンテーニュのクローンは『エッセイ』を書いただろうか






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