2021年8月27日金曜日

コンシュ「懐疑主義と哲学の意味」(17)





昨日、朝のセッションから戻ると、花の周りに20くらいの蝶が舞っているではないか

こんなに蝶で溢れているのはこれまで見たことがなかったので、早速カメラに収めた

今日もコンシュさんの続きを読むことにしたい


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人工妊娠中絶の後は、戦争の問題である

戦争は多くのやり方で正当化が可能かもしれないが、これらの正当化はいずれも、道徳的な正当化の性格を持っていない

実際には、道徳的という言葉の意味において、「正当な」戦争は存在しない

なぜなら、すべての戦争は殺された無垢の人にとって不当であるからだ

カントによれば、道徳的命法のフォルミュールは次のようなものである

「あなたの行動の準則が普遍的な法の上に成立するようにあなたが望むことができるやり方で行動しなさい」

もしわたしが何らかの戦争に参加することをすべての場合に拒否すれば、わたしの行動の準則が普遍的な法になることを確かに望むことができる

なぜならこの場合、戦闘員がいないので戦争は不可能になるからである

このことは、すべての状況において平和主義者のプロパガンダが受け入れ可能で、容認できるものであることを意味しない

そうであるためには、見方と敵を無差別に攻撃できる時だけである

戦争直前にはそうではなかった

なぜなら当時、ドイツ人はこのようなプロパガンダを全く受け入れなかったからである

それ故、わたしはジャン・ジオノが1937年に『服従拒否』を出版したことを認めることがでるかどうか分からないのである

そのテーマを明確に言うとすれば、「わたしが言うことは、わたししか拘束しない」となる








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