2021年8月30日月曜日

コンシュ「懐疑主義と哲学の意味」(20)




















最後に、ニヒリズムが市民権を持つことができないもう一つの領域として美学がある

この言葉は、ヘーゲルと伝統が言うように、「美についての科学ーーむしろ哲学と言おうーー」である

ラランドの辞典は、この言葉を次のように定義している

「美と醜を識別するために応用するものとして、評価の判断を目的とする科学」

しかし、美学は判断だけを目的にすることができない

美それ自体に興味を示さないこともあるからである

それはドイツ人が美学と芸術の科学(Kunstwissenschaft)を区別していた時代であった

おそらく能力不足から美しい作品を生み出そうとしなくなった現代アートも芸術であるとすれば、この区別は再び取り上げなければならない



アンドレ・マルローは、ルネサンスの芸術家にとって「偉大な芸術は反論の余地がないほど美しい」という立場を採り、その美しさは「不死のスタイル」に他ならないと付け加えている

ボードレールは、「芸術作品を生み出す条件」の中に「美への偏狭な愛」を見ている

また、オスカー・ワイルドにとって「芸術家は美の創造者」であった

状況は変わった

芸術作品が醜くなければならないということではない

それは「無関心の原則」を応用することに関連する

この原則は、「そのようであるよりこのようにということはなく、あるいはどちらでもない」というピュロン主義の鍵となるフォルミュールの中に要約されている

芸術家の活動の産物は、最早醜いより美しいということはなく、どちらでもない

ピュロン主義のニヒリズムに再び出会うのである

それは芸術的ニヒリズムではなく、美的ニヒリズムであるーーそれが「芸術」であるとすればであるが

この現代性に参加している芸術家にとって、彼らがそう理解しているように、美的考慮は芸術とは無関係である

美的活動と芸術的活動は分かれているのである

これにより、美学を美についての省察に止めることができ、我々にとっては都合がよい








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