2021年8月15日日曜日

コンシュ「懐疑主義と哲学の意味」(7)















カントは、単なる意見と、その試金石が賭けである揺るぎない確信を対立させる

しばしば起こるのは、誰かが自信に満ち、妥協を許さない大胆さで提案するので、間違いを犯す心配は全くないように見えることである。賭けが彼を考えさせる。彼は時に自分の説得が10デュカではないが、1デュカに値すると確信する様子を見せる。確かに彼は、最初のデュカを危険に晒すだろう。しかし彼は、それまで気付いていなかったこと、すなわち彼が間違っていたかもしれないことに気付き始めるのである。そのことに全人生の幸福を賭けなければならないと想像してみよう。そうすると、我々の成功した判断は完全に崩壊し、恐れを抱くようになり、我々の信念がそんなに遠くまで行かないことを発見し始めるのである。

神は存在する、あるいは存在しない、魂は永遠である、あるいはそうではないと信じているとあたなは言う

あなたは、自分の財産を、例えば、もし間違えば全身に癌が広がることを了解した上で、自分の健康を危険に晒す準備はできるだろうか

このような仮定は、たとえ純粋に架空のことではあるかもしれないが、信念の確実性のなさを明らかにするには十分なのである







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