2021年9月5日日曜日

コンシュ「懐疑主義と哲学の意味」(24)

















魂は壊れやすいものなのか

死せる魂』はゴーゴリの小説のタイトルである

魂は死ぬことはあるのだろうか

いずれにせよ、素晴らしい魂はそうなのだろうか

クリュシッポスによれば、素晴らしい魂、賢者の魂は、全世界的紛争の時まで生き延びる

つまり、その寿命は世界の寿命と同じである

それに対して、醜い魂、「常軌を逸した」魂は、少しの間しか生き延びることはない

オイノアンダのディオゲネスを信頼するとすれば、醜い魂は体から離れた途端に滅びるものと思わなければならないだろう

死に際して何が起こるのだろうか

体は消滅するのではなく、変容するのである

「やがて土が我々すべてを覆い、そしてそれ自身を変えていくだろう、そしてそれは無限に変化し、さらに無限に変化するだろう」

しかし魂は、魂の単一性と特異性は、同じものに止まらないとしても、変えられることはないだろう

ひとりの人が他の人になることはあり得ない

生き残ることができるか、蝋燭が消えるように消滅するかだけである

しかし、魂の消滅はその生き残りより思い描くのが難しくないだろうか

「無からは何も生まれない」はギリシア思想の根本原理である

これは「何ものも消滅することはない」というもう一つの根本原理と対になっている

どうしたらあるものが無になることができるのだろうか

唯物論は合理主義的でありたいと願う

この合理主義の見事な断層がここにある

反対に、魂の生き残りは容易に理解される

なぜなら、我々が愛した人たちの魂は我々の中に生き残っているのだから

我々の精神における個人的な魂と特別な霊感が永遠に存在することは、思い出とは区別すべきものである

たとえ、感動的な瞬間を想起させるイメージがその存在が呼び起こす感情を助長することがあるとしても

ところで、もし魂が我々の中に生き続けるとすれば、魂自身の中に生きることがあってもよいのではないか

それは考えられないと人は言うだろう

しかし、その反対は考えられるのだろうか











0 件のコメント:

コメントを投稿