ところで、体系の創始者としてではなく、対話における対話者として哲学者の社会のメンバーであることがわたしにとって有益なのは、ここである
わたしの確信への道であった瞑想は、彼らのものでもあったし、現在もそうである
さて、彼らは何について今瞑想し、これまで瞑想してきたのか
人間の条件ーーその条件はわたしのものでもあるーーの特色についてである
なぜなら、痛み、窮乏、不安、幸福、不幸、愛、喜び、失敗、悩み、死の恐れ、同様に、知あるいは無知、決断あるいは優柔不断など、すべての人がこれらについて何らかの経験を持ち、哲学者は「哲学者」である前に、まず「他の人と同じように人間」であるからだ
しかし何よりも、すべての人間は太陽の下、世界に在る
そして、神話は横に置き、精神の自由を宣言して、「それは何なのか」と自問した最初の人
それが最初の哲学者であった
日の光の中で世界に在るとは何を言うのか
そこで我々は何をやっているのか
このような疑問は、答えるのが難しいこととすべての人の問いでもあり得るため、一緒に問いを出すために、同じように調べている人たちと出会う必要性を直ちに生む
そしてそこから、意見や仮定や議論の交換、対話、そして討論が生まれ、それは体系による囲い込みや問い掛けの中止がなければ、終わることは決してないだろう
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