2021年9月3日金曜日

コンシュ「懐疑主義と哲学の意味」(22)




















しかし、世界で最も美しいものは何だろう

サッフォーはこう言った
ある人たちは、陰鬱な地上にある最も美しいものは騎士団か歩兵団であると見る。他の人たちは艦隊と見るかもしれない。わたしにとって世界で最も美しいものは、各々にとって夢中になれるものである。

最も美しいものは、人間の顔であり体である

なぜなら、神々が作り出した理想的なものが顔と体だからである 

そのため、完璧な美が少年や少女に見られると、それは神の存在の徴であるとされる

ヘロドトスは、クロトンの若者が死んだ後、「彼の美しさゆえに」神の栄誉が与えられたと語っている

彼の墓のうえには小聖堂が建てられ、供え物が捧げられた

プルタルコスの中に、ニキアスが美しく若い奴隷に神として自由を与えたという話が出てくる

彼を拘束状態にしておくのは「あまり宗教的ではない」と言っている

イソクラテスは『ヘレネ頌』の中で、絶世の美女ーー「最も神聖なもの」ーーであるヘレネは不死の恩恵に浴し、夫のメネラオスにもそうさせたと語っている

ラコニアでは、神々に捧げるように彼らに供え物が捧げられたという


しかしながら、皆が美しいと誉めそやすカルミデスについてソクラテスは、体の美しさに魂の美しさという「ちょっとしたこと」が加わえられることを望んだ

このように、一方が他方なしには進むことができないのである

ホメロスの神々においては、体は美しくても魂がかなり醜いことが少なくない

反対にソクラテス自身は、その醜い外見が内面の美しさを覆い隠している

オスカー・ワイルドが『ドリアン・グレイの肖像』の中で、美に関して体と魂の間に存在し得る不一致を指摘する前に、古代ギリシア人はカロカガトス(καλοκἀγαθός=善美⇒心身の調和)が理想に過ぎないことをよく知っていたのである


しかし、どのような美が本当に重要なのだろうか

体の美しさなのか魂の美しさなのか

そして、なぜソクラテスは、アルキビアデスによれば、前者を蔑視するのか

まず、ピュロンの前にプラトンが同意するように、時に翻弄される体の次元のことは大したことではない

サッフォーは「美は見ている間しか止まらない」と書いている

しかし他の美もあるとして、「今日の美は明日の美になる」と付け加えている

なぜなら、とプラトンは言う

ソクラテスの体がずっと前に原子の塵になったとしても、彼を「これほどまでに完璧な美しさ」を持った魂にした内なる知恵は、我々をいつも照らしているからである、








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