2021年9月16日木曜日

コンシュ「哲学とその向こう側」(6)

























しかし、我々の信念に何の価値があるのだろうか

我々の信念とは、社会学が説明する効果に過ぎないのではないか

我々の宗教はどうだろうか、とモンテーニュは自問する
我々は宗教が行われている国で出会った・・・

我々はペリゴール人あるいはドイツ人であるのと同様にキリスト教徒である 

我々は信仰を放棄することはないだろう

なぜなら、他のものを持つことができないからだ

しかし、伝統によって我々の中に刻まれている出来合いの考え方以外の土の上に自らが立つべきである

ヘルダーリンのエンペドクレスは、同胞に宛てられた失われた手紙として、しかしそれが哲学者であることを望んでいる人に宛てられたのなら相応しいものとして、同胞に呼びかける

この大胆さを持て!

あなたが伝統の中で受け取ったもの、あなた自身で獲得したもの、あなたの父があなたに語ったこと、あなたに教えたこと、法律や習慣や昔からの神々の名前、これらすべてを勇気をもって忘れよ

そして赤ん坊のように、素晴らしい自然に向けてあなたの目を上げるのだ 

最後の言葉を横に置いておこう 

心の障害物から視野を解放し、世界や自然を初めて見るようにしなければならないという考えを覚えておこう

こうして哲学の出発点に辿り着くのである

それが驚きだ

ここで可能なことは同胞間の対話ではないが、他の対話である

誤った証拠と集団的な強迫観念から解放されたすべての人、すなわち哲学者との対話である

なぜなら、哲学者は唯一の普遍的な社会を作るからである

そこで彼らは自分自身の同胞よりもお互いに近くにいるのである

確かに、わたしの村にいる受け入れられた考えだけで満足し、最高の喜びが解禁日に漁に行くことであり、日曜の試合で喝采を送ることであるすべての人より、わたしはモンテーニュをより近くに感じる


 





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