2021年9月10日金曜日

コンシュ「哲学とその向こう側」(1)

























今回読むのは、コンシュさんが1997年6月5日にアテネ・アカデミーで行った受諾講演に手を加えたものである

タイトルにある「その向こう側」が何を意味するのかに興味が湧き、読むことにした

暫くお付き合いいただければ幸いである


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哲学それ自体の意味ではなく、哲学の向こう側にあるものとの関係における意味を考えることにしたい

実際、わたしは「哲学は何に導くのか」と尋ねられる

それに対する最初の答えは、「何にも(導かない)」である

その理由は、哲学が探求する真理は、常に哲学から逃げていくからである

しかし、もう一つの答えがある


まず、「哲学とは何なのか」

ハイデッガーがこのような問いを自らに課す時、直ちにギリシア語の φιλοσοφία という言葉に出くわす

ギリシア語の言葉として、彼に探求する方向を示すのがこの言葉である

このように、ハイデッガーは最初から、この問いを個性のないものにするのである

ハイデッガーはモンテーニュではない

一種の慎みのようなものが、彼が一人称で哲学するのを邪魔するのである


わたしは、次のように言うハイデッガーに喜んで同意したい
哲学とは、その存在自体においてギリシア的なものである
哲学とは、まず何よりも、ギリシアの「現存在」(Dasein)ーー文字通り、ギリシア的世界における在り方ーーを決めている何かである
しかし、これらの言葉、この主張の意味は非常に明確なので、たとえわたしに哲学の経験が全くないとしても迫るものがあるのか

あるいは反対に、これら言葉が非常に強くわたしに語り掛けているとすれば、それはわたし自身の「現存在」の哲学によって決定した経験があるからなのだろうか

要するに、その起源の場、すなわちギリシア人の哲学を見分けるためには、それだけでも哲学しなければならないのである

そうでなければ、我々は哲学がエジプトにも中国にも存在すると思うだろう






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