しかし、この二つの側面――感知し得る性質の面と微粒子や電波の面――をどのように折り合いをつけ、一つにするのか。
次のようにするとできるように、わたしには見える。
感知し得る対象、例えば木の葉を遠くから見てみよう。
すると、緑のものしか見えない。
今度は少し近くから見てみよう。
そうすると、裂片や葉脈が見える。
光学顕微鏡、それから電子顕微鏡で、さらに近くから見てみよう。
すると、セルロースの分子が見える。
100万倍に拡大して大きな分子や細菌の構造を明らかにする電子顕微鏡――電子線は可視光の波長よりずっと短い波長を持つ――により、ウイルスや他の非常に小さな対象を撮影することができる。
結晶の空間における配列は、もはや不可視ではない。
他方、ウィルソンの霧箱の中で見たもの――放射性核から放出された粒子の軌道、他の粒子との衝突による粒子の生成、粒子の崩壊と放出――を撮影できる。
技術化された目のお陰で、視線が物質の構造に入り込むのである。
確かに、照射された湿ったガスが膨張するとその中に現れるものは、小さな液滴で形成された不規則な白い紐のようなものである。
今わたしが言ったことは、最近まで言われていたことであった。
すなわち、白い線は粒子あるいは小体の途方もなく微妙で速い軌道を表していると。
今日であれば、このイメージは別の解釈が可能になると言われている。
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